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【書評】『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』

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人類史上最大の版図を実現した帝国

13世紀はモンゴルの時代であった。

モンゴル帝国

ユーラシアの東西南北すべて、モンゴルによって繋がれたユーラシアはグローバル化を迎える。

西洋列強が主導でおこなわれた新大陸も含めたグローバル化は19世紀に始まる。

それより6世紀も前にユーラシアはひとつに結び付けられていたのは驚愕だ。

しかし、それらグローバル化を推進したモンゴルに対するイメージは悪い。

世界でもトップレベルに何でも文字で記録したがる漢民族が、モンゴルに対して悪罵を浴びせてきたので、そんなイメージがあるのも無理はない。

イスラーム世界では「モンゴルの破壊」、ロシアでは「タタールのくびき」とモンゴル人の前では人が殺され、街を破壊されるのは日常茶飯事で、その恨みを抱いてきた。

そんなモンゴル=悪者のイメージは日本でもある。

なぜならば2回も元寇という事件を引き起こしたからだ。

運良く追い払った日本だったが、仲良くしていた南宋が滅ぼされ、モンゴルの驚異はしばらく続いた。

本書ではモンゴルを悪評から救う作業からはじめていく。

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クビライ新帝国の革新さ

クビライの新帝国は、以下の3つの要素うまく融合させた上に成り立った。

・草原の軍事力
・中華の経済力
・ムスリムの商業力

草原の軍事力の優位を支配の根拠として、世界一豊かな中華世界でモノを生産し、ムスリム商人の商業網を使ってユーラシア中に商品を運んでいく。

こうして国家主導によるユーラシア全体の流通経路が誕生した。

恐るべきことに、モンゴル帝国は陸だけでなく海の帝国でもあった。

南宋を滅ぼしたことで海へのルートも確保し、イスラム商人の助けもあり、ますます繁栄をむかえた。

モンゴル帝国はムスリム商人とべったりだった。モンゴル帝国が支配領域を増やすのに、ムスリム商人は手助けをする。なぜならば商域が広がればチャンスが増えるからだ。

モンゴルの軍事力をうまく利用した形になるが、モンゴル側もムスリムの資本力と情報力と輸送網を使って優位に軍事をすすめることができたのでお互い様だ。

国家が主導する経済体制

このようにモンゴルは国家が主導して経済活動を管理した。現代を生きる人間ならば当たり前の感覚だが、近代以降の西洋資本主義に似た感覚をすでにもってたのモンゴルの先見性が素晴らしい。

株式会社といえば東インド会社が有名だが、モンゴルにも会社のような組織(オルトク)がある。

銀払いを浸透させたのもモンゴル帝国だ。

仕組みはこうだ。

フビライがムスリム商人に銀を貸し出す。

すると預かった銀を使って中国で商品を仕入れる。

それをユーラシア中で売りさばく。

得た収益の一部を税金としてフビライへ送る。

集まってきた銀をまたムスリム商人に貸し出す。

このループがうまくいき、銀の大循環はフビライによってユーラシア中を駆け巡った。

とにかく商人に優しいフビライ。

自由経済政策を取り、誰がどこで商売をやっても構わない。

人種も民族も一切関係ない。

3.3%の税金だけ払えばすべてがフリーであった。

当時の国家の収益を知ると驚く。

中央政府の収入の80%が塩の専売による利潤。

塩なしには生きていけないので誰もが買わなければならない必需品。

驚くべき数字だ。

そして10〜15%は商税から得ていた。

あれ?農作物は?

そうなのだ。農作物にほぼ頼らずに国家運営資金を稼いでいたのがモンゴルの特徴であった。

通過税も廃止して徹底的に商人を優遇した。

イスラム商人は大喜びである。

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不満たらたらな科挙エリート層

こうしたモンゴルの繁栄から取り残されていた人々がいた。

それは勉強だけ得意な知識層だ。

モンゴル政権下では能力主義・実務主義の人材選抜が行われた。

これまでは科挙に受かって官僚になって国家に仕えていたが、科挙で学ぶような古典や文学の素養は求められなかった。

いくら論語を諳んじることができても実務に役立つ能力じゃなきゃ評価されない。そんな時代になったのだ。

現代にもどこかリンクするのはなぜだろうか笑

金を稼げる能力が求められ、一銭にもならない教養は価値を落とす。

こうしてかつて科挙で問われるような文化的素養をもったエリート層はモンゴル帝国下で活躍の場を失い、不平不満をこぼした。

こういう人物がモンゴル帝国はとんでもない夷狄だ。などと強調していき、モンゴル=悪者説は影響を高めていった。

そんなモンゴルの悪評が確定したのは清王朝だという。

同じく漢民族ではない満州族がつくった清王朝。エリート層から夷狄と呼ばれることをひどく嫌ったので、文句をいうやつは皆処刑した。

直接、清王朝の文句を言えなくなったので、不満のはけ口はモンゴルへと向かった。清王朝への批判の代わりにモンゴル時代を批判する文章がちまたで溢れたのだ。

こうしてモンゴルへのネガキャンは定着していったのである。

さいごに

民族や人種、イデオロギーなどは現代でも争点になりがちな話題だ。

そうしたものを一切取り払い、通商を第一にユーラシアをつなげてきたモンゴル帝国は、現代が知るべき歴史だと思う。

ユーラシアでのグローバル化がフビライによって行われ、それをみていた西洋人は、大航海時代を経て、新大陸を含む全世界を結ぶグローバル化を推進していく。

出口さんがフビライのすごさを毎回語っていたのがようやくわかった気がする。

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おくでぃ

▶︎ 数千冊の本に埋もれてる積読家 ▶︎ 古今東西の歴史が好き ▶︎ まれに読書会主催 ▶︎ 餃子が好き ▶︎ HONZのレビュアーになるのが夢

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