お久しぶりです!おくでぃです。今日は幕末で一番かっこいい人物について紹介します。
近代日本の万能人
"万能人"ときいて誰もが最初に思い浮かぶのはあの人物ではないだろうか。
『モナ・リザ』でお馴染みのレオナルド・ダ・ヴィンチだ。
彼はたしかに絵が上手だったが、それだけでない。
音楽、建築、数学、幾何学、生理学、解剖学、博物学、動物学、植物学、天文学、気象学、地質学、化学、物理学、力学、飛行力学、軍事工学、絵画...
羅列するだけで驚くが、これら多岐に渡る分野で成果を残した。
後世の人間は彼を「万能の天才」とよんだのもわかる。
ところで、幕末日本にもレオナルド・ダ・ヴィンチに負けないほどの一人の「万能人」がいたことをご存知だろうか。
特に実学に万能の才能を発揮した彼の名は榎本武揚。
幕臣として土方歳三とともに、最後まで薩長と敵対したが、あまりにも有能すぎるので、新政府のメンバーに推挙された。
航海術、外交、蒸気機関学、鉱物学、機械工学、冶金学、化学、農学、電信技術、殖民、経済、政治...
オランダ留学で培った知識と経験はずば抜けていて、榎本武揚以外にはできないことも多々合った。
晩年には
- 東京地学協会社長
- 電気学会初代会長
- 日本家禽教会初代会長
- 日本写真会会長
- 大日本気象学会会頭
- 殖民協会初代会長
- 工業化学会初代会長
- 日本電友協友会長
- 窯工会会長
- 東京彫工会会長
これらは、単なる名誉職ではなく、精力的に活動していた。どこまで多才なんだよ!
そんな彼の生涯について書かれたのが本書である。
ときは幕末・・・動乱の時代
榎本武揚は幕臣としてオランダ留学にも行き、列強諸国の文化に触れて成長していった。
彼が帰国するころには、幕府VS薩長で国は2分され、激動の時代へと移っていたのだ。
江戸の無血開城が決まり、徳川家の所領は800万石から70万石に激減。8万人もの幕臣たちは職を失ってしまう。
これら幕臣が露頭に迷うことを憂いた榎本武揚は、新天地として蝦夷地へ連れていき、開拓することを考えた。
そこで最強の軍艦、開陽丸を擁して、蝦夷へ入り、幕臣たちのために新政府と戦うことを決意する。
彼はこのとき、檄文をしたためている。
「徳川家は不当に領地を没収され、家臣は露頭に迷っている。その救済のために蝦夷地開拓を願い出でが許されなかったので、一戦を辞さぬ覚悟で江戸を退去する」
ただの評論家ではなく、人情味あふれる人物なのも魅力的だ。
幻の蝦夷共和国
蝦夷地に乗り込んだ榎本武揚。まずは五稜郭を襲い、わずか5日で占拠し、ここを本拠地とした。
イギリス・フランスの軍艦がやってきて、艦長らは、榎本武揚ら旧幕臣の政府を承認した。
ここに新政府と蝦夷共和国と2つの国が一時的に存在したこととなる。
しかし、わずか数ヶ月で列強諸国は新政府を唯一の政府と認定し、蝦夷共和国は窮地に立たされる。
国際的に孤立した蝦夷共和国を新政府が追撃してくるのは時間の問題であった。
唯一勝っていた海軍力に関しても、アメリカから最新のストーンウォール号を購入したことで逆転し、黒田清隆を参謀に、いよいよ箱館戦争がはじまる
責任を取り、切腹を決意
降伏勧告を拒否し続けていたが、戦局は好転せず、ついに1869年5月18日に降伏した。
責任を取り、自決の道を選んだ榎本は、総裁室にひとり入っていく。
箱館戦争でずっと着ていた軍服のボタンを外して、短刀を手に取る。
新政府と対等な交渉のテーブルにつくことを約束し、榎本はやりきったのだ。
あとは潔く散るだけ。短刀を手に腹に突き刺そうとしたとき、異変を察した部下が飛び込んできて、短刀を手で掴んで阻止した。
「ここで死ぬべきではない」
素手で短刀を握って部下の手から血が滴るのをみて、榎本は我に返る。
部下からの説得を受け、切腹の手前まできて踏みとどまるに至った。
生き恥
華々しく散った土方歳三と生き残り新政府の重臣となる榎本武揚。
対象的な両者の最後をみて、榎本武揚に否定的な意見が多いのも事実。
特に、福沢諭吉は榎本武揚を批判している。
しかし、彼は最後まで幕臣たちの行方を憂いで共に蝦夷までやってきた。
どこぞの水戸の将軍様とは大違いではないか。
降伏するにあたり、新政府からはこのような達しがきた。
首謀者は降伏し、五稜郭を開城して寺院に入り謹慎せよ。そして兵器は全て差し出して朝廷の裁きが出るのを待て。
ゆるい条件で降伏を受け入れ、箱館戦争は終わった。
榎本からの贈り物
降伏した際に、榎本は新政府の黒田清隆にオルトランの『万国海律全書』を贈った。
「私が死んだら新政府には外交の樹立と国境の画定など法律知識を持ち合わせる人間が居ないだろう。だからこの本を使えばいい」
こんなときなのに己の命よりも国の将来を考えられる榎本かっこよすぎるだろ。。。
捨てる神あれば拾う神あり。
実はこれをきっかけに榎本の処遇は大きく変わることになる。
受け取った黒田はびっくりした。
「榎本は国際法にこんなに詳しい人間だったのか」
オルトランの本はオランダ語で書かれているので、翻訳を福沢諭吉に依頼したところこう言われたという。
「専門用語が多いことから榎本以外にはできない」
諭吉が投げ出すレベルの本。。。
ただの賊軍の大将と思っていた榎本のすごさに気付いた黒田清隆。
彼は新政府にこう進言した。
「榎本は殺すべきではない。日本にこれほど国際法に詳しい人物は居ない」
それだけでない。
「私の坊主頭に免じてくれ」
髪を剃り上げて、榎本の助命を願い出た。
しかし、榎本は最後まで敵対した人物。そう簡単に許せる相手ではない。
長州も土佐も当然、助命には反対。振り上げたこぶしは最後まで振り下ろさなければならないのだ。
ここまでかと思ったときに、あの人物が一言こう述べた。
「榎本は生かして使え」
その一言で会議は静まりかえり榎本は殺されずにすんだ。
西郷隆盛の一言で榎本の人生は変わったのだ。
薩摩はこういう人情味があって好き。
榎本武揚の第二章はじめる
北の巨人ロシアからの脅威に備えるためにも蝦夷地の開拓、整備は急を要する案件であった。開拓次官であった黒田清隆は、榎本武揚を開拓使として部下にほしかった。
対する榎本は、旧幕臣として新政府で働く気はなかった。旧幕臣たちに申し分ない。
彼は民間で働きたいと願っていたようだが、命の恩人からお願いされたならば行くしかない。
こうして榎本武揚はその才能を思う存分、新政府にて発揮していくこととなる。
さいごに
まだまだ榎本武揚の魅力はたくさんある。ありすぎて書けないので、続きは是非読んでほしい。
大河ドラマで渋沢栄一が取り上げられている。
彼も幕臣→新政府→民間と榎本武揚と似たような経緯を辿っている魅力的な人物だ。
榎本武揚は多岐に渡る分野でマルチに活躍した人物である。
変動の時代に、こんなにかっこいい人物が居たのか。それを知ってもらうだけでも嬉しい。
大河ドラマの主人公としてこんなにおもしろい人物はいないぞNHK
おすすめ書籍
↑今回紹介した本
↑散った土方歳三と散れなかった榎本武揚
↑没後100周年記念本
↑榎本武揚の歴史小説