ペリー来航
日本人にとって最も有名なアメリカ人はペリーではないだろうか。
絶対に習うのが、ペリーが引き連れてきた黒船をきっかけに日本の近代化がはじまった歴史。
今でも「〇〇界の黒船!」と言われるくらい日本でも浸透している事件だ。
こう書いておいてリア・ディゾンしか例が思い浮かばなかった己の不甲斐なさよ笑
ペリーは横浜に来たイメージがあるが、最初にきたのは浦賀であった。
そう。ペリーは二度、日本に来ている。琉球に至っては五回も訪れている。
どこから来たのか?
もちろんアメリカからだ。
アメリカ大統領フィルモアの国書をもって、ノーホークを出発したペリーの軌跡は『ペリー艦隊日本遠征記』に詳しい。
- ペリーはなんの目的があって日本にきたのか?
- 条約締結までの日本側との交渉過程
- 絵巻やかわら版に書かれた庶民がみたペリー
など、ペリー来航という事件をテーマに描かれているのが本書だ。
スポンサーリンク
ペリーが来ることを事前に知っていた幕府
江戸幕府の基本姿勢は鎖国体制なことはよく知られているだろう。
だが、完全に締めていたわけではなく、長崎を窓口として例外的に用意していた。
長崎で貿易できるのは、中国とオランダ。
オランダ商館の商館長が毎年幕府に提出する書類がある。
それが、オランダ風説書。
これはオランダが鎖国している幕府に向けて、海外で何が起きているのかニュースをまとめた文章である。
- キューバ独立戦争
- ボーア戦争
- アルジェリア侵攻
- ドーバーとカレーの海底電信
- 万国博覧会
- カリフォルニアのゴールドラッシュ
- ナポレオン三世の即位
などなど結構な情報を幕府は得ていたのだ。
当時のオランダ商館長ドンケル・クルティウスが長崎奉行の牧義則を通して幕府にペリーが日本に向かっていることを知らせていた。
しかし、金欠状態だった幕府は海防施設を整える余裕も技術もなく、問題を先送りするお家芸を発揮。江戸時代から日本人の気質は変わらない。
こうして一年前からペリー来航することはわかっていたのにも関わらず、なんにも準備せずに迎えたのがペリー来航だった。
スポンサーリンク
なんでペリーは日本にきたのか?
沖縄に五回もいっているので相当、海好きなんだなと思うが、ペリーは観光で日本に来たわけではない。
ペリーよりも沖縄訪問回数負けている私の立場よ・・・
ペリーの目的は開国を求めるアメリカ大統領フィルモアの国書を渡すことであった。
なぜ開国させたいのか。そこにはペリーが意見した東アジア戦略がある。
ペリーはカリフォルニアと中国間の貿易を増やしたかったが、既に中国はイギリスやフランスが既得権益を握っていた。
シンガポールも香港も良好な港は全部イギリスが押さえてしまっている。
はやくアメリカも港を押さえないと貿易に支障をきたすと進言し、狙ったのが、日本と琉球だった。
日本と琉球はイギリスの手がまわっておらず、迅速に対応する必要がある。
実際にロシアはアメリカよりも早く日本に来ていて、どの国が最初に日本を開国させるか競争が行われていた。
こうして、第一に日本、日本が駄目でも琉球で目的を達成させようとペリー来航は決定した。
スポンサーリンク
制限されていたペリー
ペリーが率いた東インド艦隊は、東アジア海域を範囲に、国益と自国民保護を目的とした組織である。
当時、東アジアを席巻していたどのイギリス船よりも大きく、圧倒的なスケールと軍事力をもっていた艦隊で、軍事力をチラつかせて交渉しようとするペリー。
最初に日本を訪れた際には四隻だったが、当初は最低でも十隻は必要と思っていたらしい。
二回目には九隻できているのであながち外れていない数字だったのだろう。
パワープレーで交渉しようとしていたペリーだが、実は穏便にすませたい理由があった。
アメリカでは宣戦布告の権限は上院にしかないので、ペリーが勝手に戦争をすることはできなかったのだ。
自衛のためか、侮辱された場合以外には戦争を禁じられたペリーだったので、見た目では威嚇し、相手がビビって、スムーズに交渉がいくことを誰よりも望んだ。
同様に日本人も伝家の宝刀を抜き、見たくない現実(ペリー来航)に蓋をして、何も準備していなかったので、穏便にすませるほかなかった。
こうして日本とアメリカは悪くない状態で国交を開くことができ、この関係性が日米両国の関係にいまも影響を与えているものと思われる。
もし、ペリーが戦争の権限をもっていて、日本も十分に準備して、戦争していたら。。。別の歴史が動いたことだろう。
スポンサーリンク
さいごに
ペリー来航は日本史や世界史においてターニングポイントで、日米の関係がはじまった点を知ることで、その後の日本の近代化や日米同盟が見えてくる。
日米同盟は、紛れもなく日本にとって最重要同盟で、冷戦崩壊後、いつまで同盟を残すのかは、国を二分しかねないデリケートな問題だ。
そんな日米同盟を考える上で、エピソード1としてペリー来航を振り返るいいきっかけになる本ではないだろうか。
元横浜市民からしたらペリーに感謝!