音声こそ本来のホメロス
本書の主人公、ホメロスは古代ギリシアの詩人で「人類史上最高の文学」ともいわれる『イリアス』『オデュッセイア』などの叙事詩が有名だ。
我々は幸運なことにホメロスの叙事詩は残っており作品を読むことができる。
翻訳され文学としても、また映画化もされたりと様々な形式で楽しませてくれる。
ただ成り立ちを考えると、ホメロスの作品は「読む」ではなく「聞く」が正しいのではないだろうか。
ホメロスは吟遊詩人として、各地で詩を朗唱しながら歩いたという。
つまりホメロスの叙事詩は、まず音声からはじまる物語なのだ。
ホメロスは盲人で文字を知らなかった。ホメロスの詩を前六世紀に『イリアス』『オデュッセイア』として、文字に書き留められることで、テキストとして残ったのである。
テキストとして封印されたホメロスの詩を歴史を通じて、音声メディアとしての叙事詩として解放する。そんな試みに挑んだのが本書だ。
謎多きホメロス
古代から一九世紀までずーと『イリアス』と『オデュッセイア』はホメロスの作品だと考えられてきた。
しかし、ホメロスがどんな人物だったのか、正確なことはわかっていない。
通称「ホメロス問題」
第二章では、残された断片を頼りに、ホメロスの実像に迫る。
歴史の父と呼ばれたヘロドトスをはじめ、いくつかの作者によるホメロス伝は残っている。だが、作者によって内容もバラバラで何を信じればいいのかわからない。
ここではヘロドトスの伝記を参照に紹介しよう。
ホメロスはスミルナという街で生まれた。父親は不明。母はクレテイス。メレス川のほとりで出産したので「メレスの生まれ」という意味を込めてメレシゲネスと名付けた。
こうして後にホメロスと呼ばれる男の子が誕生した。
クレテイスは学校の先生をやっていたペミオスと結婚し、優秀だったメレシゲネスは、ペミオスのあとを継いで教師になった。
小アジアからスペインまでを船で渡ったり見聞を広めた時期もあった。
あのオデュッセウスの島として有名なイタケ島に寄った際に、メントルという人物のもとで、オデュッセウスに関するさまざまな伝説を聞いた。
ここで見聞きしたことが後に叙事詩としてつながってくることがわかる。
旅の途中で病気にかかり彼は失明してしまう。そこから盲人を意味するホメロスという名前で呼ばれる様になったのだ。
彼はそこから詩を歌いながら旅をし、各地で話題騒然!彼の詩を盗作する輩も現れたというではないか。
テストリデスという人物はホメロスの詩を自分の詩として偽っていた。
それを指摘するためにホメロスは乗り込んでいき、そこで『イリアス』『オデュッセイア』が誕生し歴史に名を残した。
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その後のホメロス
中世ヨーロッパではホメロスはあまり関心を持たれなかった。理由はギリシア語よりもラテン語が普及していたからだ。
ペトラルカは、ビザンツ帝国の大使からホメロスの写本をもらったのに、ギリシア語がわからないので読むことができなかった。
一方、ギリシア語を知っていたボッカッチョは、「私は『イリアス』を読むことができた最初のラテン人だ」と自慢している。
しかし、一七世紀になると、ホメロスは複数人のグループがたくさんの詩を集めてひとつの作品にしたのではないかと疑われるようになった。
文字ではなく、口頭で断片的に歌われたものをペイシストラトスによってまとめられて、その後何世紀も改変が重ねられたものがアレクサンドリア図書館に収蔵されたのではないか。
こうしてホメロスなる人物は謎のまま放置されていく。
フローベールはホメロスをこのように評している。
ホメロス ー かつて存在したことのない人物
さいごに
ホメロスと同じく、最も優れた文学者として名高いシェークスピアも別人説や複数人説がある。
偉大な作家は正体すらも謎にして読者を惹き込んでしまうのか。そう思ってしまう作品だった。
カラー写真もたくさんあり、さすがは創元社。
ホメロスの作品が後世に与えた影響なども書かれており、ホメロス好きならば一度は読んでほしい一冊だ。