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【書評】『パウロ 十字架の使徒』キリスト教を世界宗教へと発展させた男

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ニーチェのルサンチマン

ルサンチマンとは弱者が強者に対して抱く「恨み」や「妬み」を指します。

ニーチェはルサンチマンを弱者側の道徳観として捉えます。

弱者とは誰か?

その代表例としてキリスト教徒を挙げています。

キリスト教の誕生にも、ローマ帝国に虐められたユダヤ人の、ローマ人に対するルサンチマンが関わっているといいます。

さいわいだ、貧しい者たち、神の国はそのあなたたちのものなのだから。

富めるローマ人に対して貧しいユダヤ人。貧しいからこそユダヤ人のほうが幸せなのだ。と一見逆説のようなこの考え方が広まりました。

現実世界は変えられないのだから、せめて精神世界では優位に立つ。

こうして精神状態を保とうとするのはいまの人間も自然とやっているように思えます。

では、こうした貧しいから逆に幸せなのだ。といった逆説的発想はどこからきたのでしょうか。

そのはじまりをキリスト教を世界宗教へと広げたパウロから考えていくのが本書です。

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パウロの回心

パウロという人物を紹介する上で回心のエピソードは最も有名なお話でしょう。

イエスの一番弟子ペテロ(初代教皇)と並んで有名なパウロですが、実は最初はキリスト教徒を迫害する側の人間でした。

神からの命令である律法には神の意志が含まれており、その律法を遵守することこそ神にとって正しい者である。

こうした律法絶対主義守るマンだったパウロは、キリスト教徒がイエス・キリストの登場によって律法は意味をなくした。これからは律法に縛られるな。誰でもイエスを信じるものは許しを得られる。

厳しい律法を守った者のみが、選ばれし者だけが許される世界にいたパウロからしたら、信仰だけで誰もが許される。そんな許しの民主化を認めるわけには行きません。

そこでいつものようにキリスト教をイジメていたパウロですが、ある日、天から光が彼に注ぎ、地面に倒れてしまいました。

パウロの回心

そして何やら自分に話しかけてくる声を聞きます。

「サウル(パウロのヘブライ読み)、サウル、なぜ私を迫害するのか?」と。

「あなたは誰ですか?」と問うと、

「私はお前が迫害しているイエスである」そう答えました。

この問答の後、パウロは突然目が見えなくなってしまいます。

パニックになるパウロ。

イエスはパウロに対してダマスカスの町へいくように指示をします。

そこで同行者に助けられながらも町に入り、アナニアというキリスト教徒と出会います。

アナニアがパウロの両目に手を当てると、目から鱗のようなものが落ちてパウロは再び目が見えるようになりました。

これが目から鱗が落ちる。の起源です。

こうして奇跡に立ち会えたパウロはキリスト教へと回心しました。

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十字架というキーワード

旧約聖書の申命記にこのような記述があります。

木に架けられた者はすべて呪われた者である。

これを読んで、十字架に架けられたイエスが思い浮かびませんか?

これをパウロはこう解釈しました。

律法に縛られない生き方を提唱した革命家イエス。

ユダヤ教徒が「律法の呪い」にかかって奴隷のように律法遵守している状況を、自らが「律法の呪い」となることで解放してくれたのだと。

申命記にあるように十字架に架けられること自体は良いこととは思っていません。

イエス・キリストはローマ帝国に虐められているユダヤ教徒の救世主であり、剣をもって戦ったくれる強いイエスを望んでいた人にとっては、十字架で無残に死んだイエスの姿は直視したくありません。

到底受け入れられるものではありません。律法遵守するのも厳しいもので、強いものに惹かれる要素があったのでしょう。

そんな強さに惹かれる傾向を危惧したパウロ。

十字架につけられたままのイエスは、律法遵守するユダヤ教徒からしたら、呪いであり、弱き存在である。しかし、そうした観念をパウロは逆転させます。

イエスが律法の呪いを受けたことによって、皆は律法から解放される。それを祝福と呼ぼう。

躓きことが救いであり、愚かさこそが賢さであり、弱きこそが真の強さなのだ。

律法遵守できるような強い人ではなく、十字架につけられたままのイエスと共に、苦難の生を生き抜くべきではないか。

苦難に虐げられている人々とともに生きていく「弱い生き方」のほうが、真の強さであり、救いなのではないか。

そうした逆説的な生を歩もうとパウロは手紙を通じて、われわれにそのような生き方があることを示す。

 

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おくでぃ

▶︎ 数千冊の本に埋もれてる積読家 ▶︎ 古今東西の歴史が好き ▶︎ まれに読書会主催 ▶︎ 餃子が好き ▶︎ HONZのレビュアーになるのが夢

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