哲学 歴史

【書評】『自由の思想史: 市場とデモクラシーは擁護できるか』「自由」その二文字に恋い焦がれて

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100%の自由は幸せか?

「自由は好きですか?」

こんなのは愚問であろう。ほとんどの人が「好き」と答えるに違いない。

「自由」は老若男女問わず人気だが、100%の自由と言われたらどうだろうか。

仕事をしていると「永遠の夏休み」に恋い焦がれることがある。

しかし、何をしても構わないと言われると困ってしまうことはないだろうか。

無条件に「自由」を善いものと捉えずに、いまこそ自由と不自由のベネフィットを考慮すべきではないか。

本書はそんな多種多様な面をもつ「自由」について、著者の経験と読書から考えてみた一冊である。

「自由」とはなにか?このふわふわした言葉とちゃんと向き合いたいという人には、他人の思考の轍を踏めるのでおすすめだ。

価値のトリレンマ

自由社会に生きる我々にとって「自由」は最も重要な価値のひとつだが、「自由」以外にも様々な価値が存在する。

その折り合いをどうつければいいのか迷うことになる。ここで著者が万引きに悩む店舗を具体例にあげて話を進める。

ある書店が万引き被害に困っていて、その対策を考えていた。

まずシンプルな解決策としては警備員を貼り付けて、すべての客の一挙一動を監視する方法がある。

ただこれでは客は常に万引きを疑われているストレスに曝されて気持ちよく買い物ができない。

つまり(気持ちよい購買体験)という自由は侵害される。

書店側も監視の目を増やすと人件費が増大して、万引き被害の金額を超えることになりかねない。

そこで妥協策として警備員よりも低コストな監視カメラの設置を検討しよう。

監視カメラだけでは万引きゼロは達成できないだろう。

しかし、コスト面、客の良い購買体験、万引き防止といった価値をほどほどに満たせるこうした対策が選ばれることは多い。

このように様々な価値が対立して、どの価値に重きを置くかはケースバイケースである。

自由はいくつかの価値の中のひとつでしかない。

自由という概念は、他のもろもろの価値とのバランスを考慮されなければならない。

自由はそれ単体で考えるのには限界がある。

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膨張する「自由」と闘うプラトン

「自由」について語る際にギリシアの歴史ははずれないだろう。

自由と平等の民主主義の絶頂といえばペリクレスだ。

一度得た「自由」を手放すことが難しい。自由には直接的な快楽があり、ペリクレスの死後、「自由」を過度に尊重する風潮が現れ始める。

膨張しはじめる「自由」に対して「法の支配」を洞察したのがプラトンだ。

人間は弱いもので、絶対的な権力を持つと思慮を失って、権力を私利私欲のために乱用するようになる。こうした事態が、僭主制だけでなく、寡頭制や民主制においても起こる。

そして、支配者階級や政党は「派閥制」をとり、お友達を増やしていく。

この権力の「自己悪化」について、アメリカの外交官G・ケナンが鋭い言葉を述べている。

高い地位の人の身近にいるというだけで、その気持ちにすっかり酔いしれている者を私は見てきたし、それは私だけではないはずだ。

権力の興奮が、その取り巻き、また取り巻きになろうとする者全員を、包み込むのである。

繰り返すが、それが人格を歪めて、価値観だけでなく、人間関係をも左右する。

絶対的権力は絶対腐敗するのだ。

それがわかっていたプラトンは絶対的権力から自由を守るために、権力に「法」という首輪をつけることにした。

もちろん不完全な人間が法を管理するので完璧ではない。

「法の支配」はベストではないがほどほどに良い結果を出すために自由民主制(リベラル・デモクラシー)の基礎になる。

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最後に

ここから専制的なペルシア帝国からの自由を求めて戦ったギリシアや、その文化を受け継いだローマ、キリスト教の歴史へと舞台は移り、言論、教育、宗教、市場、余暇と自由と絡めたテーマについて著者の思考をたどっていく。

各時代によって「自由」というひとつの価値の重きが変わっていくのがわかるだろう。

奇しくもコロナ禍によって「自由」の価値は優先度を落としている。

多くの人が「自由」を犠牲にしても「安全」などの価値に重きをおくようになりつつある。

2020年代は再び「自由」について考えされられる時代になると思うので、その素材として本書はおすすめだ。

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おくでぃ

▶︎ 数千冊の本に埋もれてる積読家 ▶︎ 古今東西の歴史が好き ▶︎ まれに読書会主催 ▶︎ 餃子が好き ▶︎ HONZのレビュアーになるのが夢

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