歪んだ真珠
それが何を指すのかはわからないが、学校の授業で「バロック」という単語だけは妙に覚えている。「バロック」とは何か辞書で引いてみよう。
十六世紀末から十八世紀に欧州で流行した芸術様式。均整と調和のとれたルネサンス様式に対し、自由な感動表現、動的で量感あふれる装飾形式が特徴。同じ傾向の音楽・文学の様式をもいう
実はこのようなバロック観が出てきたのは第一次世界大戦後と最近で、十九世紀では「バロック」の評価は低かった。ニーチェはこのように言っている。
芸術が頽廃に陥る時、それはバロックとなる
否定的なニュアンスをもつバロックには「歪んだ真珠」という表現がなされる。では何から歪んでいるのか。歪むということは歪んでいない正常な状態があるはずだ。本来の完成された表現様式としてお手本となったのが「古典主義」である。
古典主義:厳格な秩序、明快なまとまり、安定した静けさ
バロック:奔放な激しさ、不安定なまでの複雑さ、ダイナミックな動き

カール五世騎馬像 王太子バルタサール・カルロス騎馬像
例えば、ティツィアーノのカール五世騎馬像は、あまり動きのない絵なのに対して、ベラスケスの王太子バルタサール・カルロス騎馬像では、馬が突進してくるかのような躍動感で描かれている。ダイナミック動きも特徴の一つだ。
信者獲得のためのパロック芸術
ルターによってはじまった宗教改革は芸術の世界をも変えた。当時、最大の芸術発注者は教会だった。教会を否定するプロテスタントの勢いは増していき、カトリック教会の信者はどんどん奪われていく。
そんな危機感に、対抗宗教改革を掲げ、信者を取り戻す活動をはじめるカトリック教会。
字の読めない大衆がほとんどなので、目で理解できる芸術は強い武器となった。とにかく豪華絢爛で、感情を揺さぶり、見ているだけで天国にいるかのように感じさせることを期待した。
時代がバロック芸術を求めたときに、ある天才をこの世に送り込んだ。彼の名は、カラヴァッジョ。
時代をつくったカラヴァッジョ
彼は徹底した写実主義を貫いた。これまで英雄的な伝説上の人物は、イメージに合わせて描かれていたのに、彼は現実世界にいる人々に合わせて生々しく描く。あまりの写実さに批判も多かったが、彼の登場後、彼らしい作品で溢れていった。

聖マタイの召命
カラヴァッジョは照明の使い方も天才だった。これまでの絵画では画面全体を明るく照らすようなものだったのに、カラヴァッジョは、スポットライトのように、光と影で強調する。
聖マタイの召命では、主人公格のイエス・キリストは影に隠れ、指先から選ばれたマタイに視線が行くように光を使っている。
バロックは芸術ジャンルの母である
想像ではなく現実世界の魅力に気付いたのがルネサンス期である。レオナルド・ダ・ヴィンチが現実を追い求めるあまり、墓場から死体を出して解剖した話は有名だ。
ルネサンス期も写実主義的な要素はあるが、あるがままの現実ではなく、理想に足りない部分は美化して描いていた。
それに対して、バロック芸術では、真実=美であると信じ、醜いと思われているものもオブラートに包まずにありのままに描き出す。
そのため、これまで単体のジャンルではなかった、風景画、風俗画、静物画などのジャンルが確立することにつながったのだ。
私達が慣れ親しんでいる印象派の風景画もバロックがなければ生まれなかったかもしれない。
まとめ
生命の維持を第一とする人間にとって、安定は心地よく大事な感覚である。しかし、安定のままでは飽きてしまい、変化や破壊を求める心を併せ持つもの人間だ。
物事は2つの軸をいったりきたりするものだが、バロックを知ることはその片方を理解することになる。
人間の心の奥に隠された衝動を理解するのに芸術は役に立つのかもしれない。
おすすめ本
↑今回の書評本(バロックの光と闇)はこちら
↑天才カラヴァッジョの奇妙な生涯はこちら
↑バロックといえば音楽を想像される方もおおいのでは?