美しきアメリカ人たちの死
1961年7月2日、アーネスト・ヘミングウェイが命を絶った。死因は銃口を額に向けて発砲したもので、自殺とも他殺とも言われるが真相は不明だ。
その2年後、ニューフロンティアを掲げた若き指導者ケネディ大統領が遊説中のダラスで暗殺された。
そんな二人の美しきアメリカ人たちの間に挟まれ、1962年に自宅のベットで不審死を遂げたのが、マリリン・モンローである。
その日の報道各社はこぞってマリリン・モンローの死をとりあげた。
- 「悲劇的に死んだ世界一の美女」
- 「伝説どおりに全裸で」
- 「愛は彼女に幸せをもたらさなかった」
驚くことに、マリリン・モンローの記事は、ケネディ大統領の暗殺記事よりも多かったという。
そして1968年のマーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺をもって、アメリカの黄金時代は終焉を迎えたと人々は気がついてしまった。
そして神話となるマリリン・モンロー
生前から大衆からの熱狂的な支持を得ていた彼女だが、衝撃的な死をとおして、伝説の人物へとなっていく。セクシーな女優といえば、マリリン・モンローというアイコンが皆の頭に呼び起こされる。
アンディ・ウォーホルの「マリリン・モンロー」を筆頭に、さまざま肖像がいまも語りかけてくる。
1950年代のアメリカは軍事力、経済力ともに圧倒的世界No1の国。そして文化の伝染力も並外れていた。
いわゆる「アメリカナイゼーション」のひとつであるハリウッド文化。その女王にマリリン・モンローは君臨し、全世界からの注目を浴びる存在でもあった。
短くも太いキャリア
若干36歳でこの世を去った彼女の活動期間は短い。作品数にして11本。女優としての活動期間はたったの8年に過ぎない。
マリリン・モンロー以降もセクシーさを売りにする女優は幾多も現れたが、マリリン・モンローのように伝説の人物にはなっていない。
なにが彼女を伝説の人物にしたのだろうか。
プロポーション?モンロー・ウォーク?性の女神?いずれもマリリン・モンローといえば皆が想像する要素である。
しかし、これらはハリウッドや映画会社がマリリン・モンローを売り出すために創った偶像に過ぎない。
著者はマリリン・モンローの魅力に「プロフェッショナル根性」を挙げる。
ウィットに富むマリリン・モンロー
マリリン・モンローは決して恵まれたプロポーションだけで成り上がった人物ではない。それに彼女以上に容姿端麗な女優は他にも沢山存在した。
彼女にはある夢があった。それは「大女優になること」。
孤児院で育った彼女は教養へのコンプレックスがあり、それをはねのけるために本をよく読んでいた。
マリリン・モンローは記者からの質問に対してウィットに富んだ答えを返す。シャネルの香水の逸話は伝説だ。
記者がある日こんな質問をした。
「夜は何を着て寝るか?」
するとマリリンは、
「シャネルの5番よ」
そう答えた。
ストイックなマリリン・モンロー
女優になる前のお金のないモデル時代に借金をしてまで演技のレッスンを受けていた。声楽も学び、教養不足を補うために大学の文学の講義まで聴講していた。
自分の肉体的魅力にしか注目してくれない映画製作会社と決別し、自立するために本格的な演技を習得する努力をしていたのだ。
ピンナップ時代から抜擢された彼女には脇役しか与えなかった20世紀フォックス社は、のちに成功したマリリン・モンローを映画界に連れ戻すために全面譲歩するほかなかった。
まとめ
本書は、マリリン・モンローという人物をめぐる文化と時代や世界に与えた影響を取り扱っている。マリリン・モンローはただの女優ではない。
彼女の中には、あらゆる社会の流れが入り込んでいる。ひとりの女優が宿した運命とその帰結を見ることができる。
彼女の悲しい孤児院生活や血の呪い。そして3人の夫とのエピソードなどここでは書ききれない面白い話が満載なので、気になる人は読んでみてほしい。
ここまで歴史に名を残す女優は今後あらわれないかもしれない。