政治 社会 経済

【書評】『バナナと日本人 ーフィリピン農園と食卓のあいだー』甘いバナナの中身は真っ黒

スポンサーリンク

バナナと日本人

かつては高級食材だったバナナ

いつから南国のフルーツであるバナナは、極東の島国でありふれた存在になったのだろう。現在ならば、原宿竹下通りのクレープや縁日の出店で買える串に刺さったチョコバナナなど、バナナは日常よく見かけるフルーツとなった。しかし、戦前の日本では、バナナは贈り物として扱われるくらい高価なフルーツであった。

バナナ自体は人類ともっとも古くから付き合いのあるフルーツで主に南国で栽培される。栄養価も高く、フルーツとしてではなく、穀物として食している民族や国もあるほどだ。

 

台湾よりバナナをこめて

南国でない日本では、一部地域をのぞいてバナナは栽培できない。そのためほとんど輸入に頼るほかなく、戦前、戦中の日本はバナナをあるところから輸入していた。その輸入先が意外や意外。台湾なのである。

日中戦争後、下関条約で台湾を植民地として日本では、以前から栽培されていたバナナ産業に力を入れ、日本の本土へ輸出する量を増やしていった。

戦後、台湾など植民地を失った日本人だったがバナナへの愛は変わらない。
バナナが食べたい。一億総バナナな日本人のバナナ欲を満たしたのが、鬼畜米兵と叫んでいたかつての敵国アメリカの多国籍企業なのだ。

 

フィリピン産バナナがやってくる!

台湾産バナナと違って、多国籍企業により、大農園で管理されて育ったバナナには品質にムラがなく、売りやすいため好まれた。データによると驚くほどの伸び率を見せている。

一九六八年に輸出を開始し、七〇年に日本市場の六・五パーセントを占めているに過ぎなかったフィリピン・バナナは、八一年には、なんと市場の九一パーセントを席巻するに至った。

 

コストパフォマンスの裏には・・・

ここから本書は著者の伝えたいメッセージへと迫る。かつて高級食材だったバナナは、アメリカの多国籍企業による生産システムのおかげで、日本人は美味しいバナナが安く手に入るようになった。

しかし、その裏では、現地農民に対する搾取の上に成り立っているビジネスモデルであることが鮮明に描かれている。

現地の政府と結びついて、土地をタダ同然に借りて、人手は最低賃金もしくは囚人を使って人件費を抑える。コストパフォマンスのコストの部分は生産者の汗と涙と血で抑えられてパフォーマンスが発揮されている。

多国籍企業がどのような手段で利益をあげているのか。その手法を知りたい人は満足できる一冊になっている。

 

生産物を食べることができない生産者たち

コーヒー豆やチョコレート、砂糖といったモノカルチャー生産はおなじような悲劇を起こしているが、バナナもその一つで手法は変わらない。

カカオ豆を栽培している人々はチョコレートをみたことも食べたこともない。

そういった話が有名だが、バナナも栽培している人々はその商品を食べることはない。なぜなら、バナナは現地農民の胃袋を満たすためではなく、(フィリピンよりも)高値で買ってくれる日本人のお客様のためにつくる商品だからだ。

 

さいごに

バナナはフィリピンで生まれた最初の産業である。

もともとバナナは穀物としても美味しいフルーツとしても一般人に愛された果実である。それが輸出用の商品として産業化されてしまうと、文化も生活も破壊されてしまうケースを知ることができた。モノカルチャーを押し付けられた国家の役割は悲惨だ。

著者はさいごに、日本人は美味しいバナナを食べるのはいいが、その裏でこうした環境や条件の中、生産してくれている生産者の存在を忘れてはならないと説く。

「輸出は幸福をもたらすのか」「コスパ追求の闇」などいろいろと思わされる一冊だった。特に「コスパ」という響きはデフレジャパンの国民ならみんな大好きで私も大好き。しかし、その裏では多国籍企業がえげつないことも沢山しているわけで、そのあたりも知る義務があると思った。ド◯ルとかデルモ◯テのバナナは汗と涙と血が詰まっているんだなとスーパーいったら思うのだろうか。

美味しいバナナを一皮むけば、苦い歴史が現れる。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

おくでぃ

▶︎ 数千冊の本に埋もれてる積読家 ▶︎ 古今東西の歴史が好き ▶︎ まれに読書会主催 ▶︎ 餃子が好き ▶︎ HONZのレビュアーになるのが夢

-政治, 社会, 経済
-, ,

© 2024 oku-d Blog Powered by AFFINGER5