お久しぶりです!おくでぃです。今回もアダム・スミスの『国富論』を読み解いていきましょう!
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第一篇 第二章「分業をひきおこす原理について」
前回は「分業について」読んでいきました。自分一人では、わずかな品々すらつくることができません。
一人で仕事をしていたら、生活に必要な物資すら事足りなくなることでしょう。
分業のおかげで生産性が上がり、他者と仕事することで莫大な成果を生み出す様子をみていきました。
今回は、そんな「分業」は人間の本性に備わっており、他の動物にはなく、人間のみが分業を行うとアダム・スミスは指摘しています。
欲すればまず与えよ
あるモノを他のモノと交換しようとする性向は人間だけに与えられたもので、他の動物には見られません。
柴犬が自分のもっている食事を他の犬に渡して、他の犬から交換してもらうことはないでしょう。
動物は交換や交易はしません。その代わり、相手からモノをいただくために、相手の好意を頼りとするしかありません。
動物は人間または他の動物からなにかを得たいと思うときには、それをしてくれる相手の行為に訴えるよりほかには説得の手段をもたない
子犬は母犬に甘えることで、親の愛情を勝ち取り、餌を手に入れます。目の前のご飯を手に入れるだけなら、目の前の人の好意に縋るのでもやっていけるかもしれません。
乞食も同様に相手の「憐れみの情」を頼りに施しをもらっています。
しかし、前章でもありましたが、人間は快適な文明生活を送るためには、膨大なモノが必要で、それらのモノは、大多数の人間の仕事によって提供されています。
人間は他者の助けを常に必要としています。お情けに頼るだけでは心もとない。そこで他者との関係を結ぶために、こんなことを考えました。
私の欲しいものを下さい、そうすればあなたの望むこれをあげましょう。
貸し借りともいうべきでしょうか。相手の希望を叶えるように手伝う代わりに自分の希望を満たしてもらう。
憐れみの心により施しではなく、自愛心や利益に対して呼びかける。これが人間だけが他者と関係するために発明した仕組みと言えます。
イエス・キリストは「欲すればまず与えよ」
老子は「将にこれを歙めんと欲すれば、必ず固くこれを張れ」
古代の賢者たちは既にこの仕組みを見抜き、このような言葉を残しています。
交換が分業ひいては専門性を加速させる
私達は交換によって、必要な他者の力を借りることができます。交換できる前提であればこそ、専門性を磨くことが大事になります。
ある人は弓矢をつくるのが天下一の腕前だとしましょう。
もしも彼が他者とモノを交換できるのならば、彼は、野菜や肉をつくるのではなく、天下一の弓矢だけを専門でつくり、それを肉と交換したほうが遥かに多くのモノを得ることができます。
弓矢の代わりに、肉を渡す方の人間も、自分は高品質な弓矢はつくれないので、交換して入手した方が楽だし確実です。
こうして彼は、弓矢職人と呼ばれるようになりました。このように交換が担保されると自ずと仕事は分業されていきます。
人はだれでも、自分自身の労働の生産物のうち自分の消費を超える余剰部分を、他人の労働の生産物のうちかれが必要とする部分と交換することができるという確実性によって、特定の職業に専念するように促される。
交換がなければ、自分で食料を調達しなければなりません。そう考えるだけで恐ろしい世界ですね。
動物は「交換」という概念がないので、すべてを自給自足で賄わなければなりません。また、動物ごとの差異性も交換できないために、種全体の利益にすることができないが痛いです。
まとめると、人間に共通の性向としての「交換」のおかげで、人間はそれぞれ才能が異なっていても、己の生産物を交換することで、より多くのモノを引き出すことができます。
多様性を肯定する「交換」はなんと素晴らしい仕組みなのでしょうか。みんな違ってみんな良いのは、交換ができる前提のおかげ。交換のおかげで、マイナーな才能を配られても生きていける。読んでいてそう思いました。