真のメッセージは英訳にあり
人生は楽しいこともあれば辛いこともある。
トータルでは負け越しかもしれないと落ち込んでいるときに本書が目に入ると手にとってしまうかもしれない。
タイトルが「生きるということ」とある。
なんだか人生の悩みが解決する秘策が書いてそうではないか。
しかもエーリッヒ・フロムとかいう昔の偉人っぽい人の権威性も作用し、期待は高まる。
こうして読んでみると、おや?様子がおかしい。そう思うのは私だけではないはずだ。
日本語訳は「生きるということ」。これは最後まで読めばなんとなくわかるタイトルだが、途中ではさっぱり理解できない。
英訳を見てみると「TO HAVE OR TO BE」とある。
本書では英訳のほうがしっくり来る。「持つこと」と「あること」についてひたすらに考えていく本だからだ。
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大いなる約束という幻想
産業革命以来、限りなき進歩という大いなる約束が希望を支えてきた。
これまで自然をコントロールすることが難しかった人類がようやく能動的に支配できるようになったのは、技術のおかげ。
技術が私達を全能にし、束縛からの脱却。自由を与えてくれた。
限りない生産、絶対的自由、無制限な幸福が支える”新しい宗教”が全地球を包んだのも無理はない。
だが、新しい宗教は完璧な代物なんかではないことに気が付きはじめた。
すべての欲求を満足させることは福利をもたらすものではなく、幸福に至る道でもなく、最大限の快楽への道ですらない
挙句の果てに、人類に力を与えてくれた技術の限りない進歩の先が核兵器であり、第二次世界大戦であった。
現代産業社会の既定路線の先に未来はない。
そう看破したフロムは、世の存在様式を変えるために人間の心の変革に可能性を見出す。
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「持つこと」と「あること」
現代産業社会では、知らぬうちに「持つこと」に価値を感じるようになっている。
なにかを持つことによって、自己の価値、アイデンティティを表し、モノによって主体(私)が規定されるのを死んだ関係と評す。
私はある=私が持つものおよび私が消費するもの
持つことは自己を束縛し、失うことへの恐怖から自己中心主義に陥りがちである。
これに対して「あること」とは、なにものにも執着せずに、束縛されず、変化を恐れず、成長することだ。
柔軟に変化し、他者と積極的に関わり、その時を味わう。
かつて、ブッダやキリストは知っていたが、今では忘れさられてしまった生への肯定。
ヒューマニストとして生への肯定の復活。
これがフロムの伝えたかったことではないだろうか。
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さいごに
「持つこと」はどこまで持っても満たされることがなく、持てば持つほど失うのを恐れて、攻撃的になる。
そんな「持つこと」の価値観では生きづらさを感じているのは現代人も同じではないだろうか。
残念ながらまだまだ「持つこと」の価値観は根強い。
勝ち組負け組なんて言葉も「持つこと」からきた言葉だろう。
本書では「持つこと」から「あること」への価値転換を図ろうとしている様子が何度も伺える。
フロムが見出してくれた「持つこと」と「あること」のフレームワークは日々を生きる上で参考になる視点だと思う。
心の変革は何世代も経て起こるものである。その変革に携わるのは各々だ。
その時がくるまで「持つこと」で生きるか、「あること」で生きるか。
最後まで読むとようやく「生きるということ」の邦題の意味がわかる。