戦国の世のもっともしたたかな女性
本書の主人公は江(ごう)という女性で、井上真央が大河ドラマで演じたことで知っている人もいるのではないだろうか。
彼女の経歴は一見華やかである。織田信長の妹であるお市を母に持ち、三度目の結婚で徳川家康の後継者、徳川秀忠と結婚して二男五女にも恵まれた。
息子は三代目将軍家光になり、娘の和子は後水尾天皇に嫁いでおり、武家からも公家からも崇敬された女性なのだ。
江には他に二人の姉がおり、特に豊臣秀吉に嫁いでいき、天下人の側室として栄華を誇った茶々が有名である。
二人の仲の良い姉妹は、悲しいことに豊臣家と徳川家の抗争に巻き込まれて、肉親同士にも関わらず争わざるをえなかった。
浅井三姉妹の悲劇として有名な物語で、燃ゆる大阪城とともに散っていった茶々はドラマ性もあり、多くの作品でも扱われている。
豊臣秀吉が茶々を溺愛していたこともあり、秀吉からの手紙が残っているので、史料的にも恵まれている茶々に比べて、江の史料は奇妙なほど少ないという。(このあたりはジョセフィーヌへの手紙がたくさん残っているナポレオンとの共通点を感じる)
謎に満ちた江の生涯を、正室としての女性の役割を鍵に読み解いたのが本書である。
浅井三姉妹
織田信長の妹、お市は、浅井長政と政略結婚した。裏で糸をひいたのはもちろん兄の織田信長。上洛を考えていた織田信長にとって、京都への道中にある北近江の浅井長政の協力は不可欠。
政略結婚ではあったものの二人の夫婦仲はとても良かったらしい。そのおかげもあってか、二人には三人の娘が生まれる。
長女の茶々、次女の初、そして末っ子の江で、茶々と江の年齢は四歳差だった。
子宝にも恵まれて幸せな夫婦生活かと思いきや運命は暗転する。
旧縁の朝倉氏に味方して、お市の兄、織田信長を裏切って挟み撃ちにしようとしたのだ。
当然、怒った織田信長の猛攻に耐えきれず、居城の小谷城は落城。お市は三人の娘とともに、織田信長のもとへ下るのだった。
これが最初の悲劇。父を叔父に殺されたことになるが、当時乳飲み子だった江は記憶にないだろう。
その後、柴田勝家に嫁いだお市だったが、本能寺の変後、豊臣秀吉と柴田勝家の織田家主導権争いに破れ、柴田勝家とともに自害。
こうして浅井三姉妹は、父だけでなく母も失うことになったのだ。これが第二の悲劇。
スポンサーリンク
各々嫁いでいく浅井三姉妹
父も母も失った浅井三姉妹は、各々の道を行くこととなる。長女の茶々は、母を殺した豊臣秀吉の側室となり、初は京極へ嫁いだ。
江は人生で三度結婚をしている。二度目の結婚は、豊臣秀吉の養子であった秀勝とのものだったが、朝鮮出兵で夫を失い、三度目の夫が徳川秀忠だった。
通説によると、秀忠の六歳年上の江は、怖い嫁さんで、嫉妬心が強く、うかつに側室のところへもいけずに秀忠の頭も上がらなかった。
そんな風に描かれる江だが、正室としての役割を考えるとそうではない一面も見えてくる。
正室の宿命
将軍のようなお偉い様と結婚した際に、正室に求められる役割は、世継ぎを儲けることである。
古今東西の歴史でお姫様の一番しんどい役割だが、江も例にもれず、世継ぎを求められたのは無理もない話。
夫婦ともに暮らしているならば、妊娠の機会もたくさんありそうだが、江と秀忠は別々に暮らすことも多々あった。
たとえ同じ場所にいても、屋敷はとても広いので会うのも簡単ではなかった。
そのため、歴史上「多産」と書かれている場合には注意する必要がある。
本書で一番びっくりしたのだが、あの家光の生母は江ではないというのだ。
詳細は本書に譲るが、自ら産むのに越したことはないが、上記の理由もあり、正室といえども妊娠のチャンスは限られている。
それに関わらず、絶対に世継ぎを産まなければならないプレッシャーが襲ってくる。
そんなときに、自分がタイミングよく産めなかった場合に、侍妾や庶出子を世嗣として認めることを許可するのも正室としての大切な仕事なのだ。
自分が産んでいない子を世嗣と認めてしまったら、その後に自分が妊娠して産んでも世嗣には出来ない。
つまり、自分の本当の子供を世嗣にすることを諦めるという残酷な選択でもあるのだ。
そんな葛藤を乗り越えて、家光を世嗣とした江は重大な決断をしたと言える。
その後、江は自ら男の子(忠長)を産むことになったが、その子の人生もまた悲しい物語があるので本書を読んでみてほしい。
スポンサーリンク
さいごに
豊臣家に嫁いだ茶々と徳川家に嫁いだ江の二軸と、江の三度の結婚を切り口に本書は進んでいく。
家光の実母が江ではないというのは、本当に驚いた。「多産」という言葉は疑ってかからねばならなかったり、知られざる正室の仕事を知ることができて満足の一冊である。
姉の茶々に比べると地味な江であるが、勝ち馬に乗ったはずの江も抱えるプレッシャーや闇は尋常じゃなかったんだろうなと思う。