西洋文明の母胎
地中海世界をテーマに語るのが本書であるが、地中海世界とは錬成釜のようなものである。エジプト、メソポタミア、ギリシア、ローマの文化が地中海という釜に流れこみ、ミックスされて地中海世界は誕生した。地中海世界の最終形態がローマ帝国であり、そのローマ帝国が滅んだのちに、ラテン的ゲルマン世界、ギリシア的スラブ的世界、オリエント的アラブ的世界が生み出された。
ローマ帝国は想像を絶するほどの大帝国となったが、現在の国名にあてはめるとすごい。
- イタリア
- スイス
- フランス
- スペイン
- ルクセンブルク
- ベルギー
- オランダ
- 西ドイツ南部
- リヒテンシュタイン
- オーストリア
- イングランド
- ウェールズ
- ハンガリー西部
- ユーゴスラビア
- ルーマニア
- ブルガリア
- アルバニア
- ギリシア
- モロッコ
- アルジェリア北部
- チュニジア
- リビア
- エジプト
- トルコ
- シリア
- イスラエル
- レバノン
- ヨルダン
- イラク
- イラン
この空前の大帝国の支配の秘密はどこにあるのか。著者はキーワードに「共同体」を挙げている。
ポリスとはなにか?
ローマの前にはギリシア文明があり、ローマはギリシア文化から多くのことを学んだ。著者はこういっている。
ローマの支配によって統合された地中海世界が、後世に伝えたもっとも重要な遺産は、自主・独立で自由なギリシア人の精神とそれが育んだ文化であった。
古代ギリシアの歴史とはポリスの歴史である。1500ものポリスがあったといわれているが、ポリスをギリシア人独特のものだと指摘したのはアリストテレスだった。それではポリスとはなにか?引用してみよう。
ポリスとは、その構成員内部に支配と隷属の階級関係のない、比較的平等の相互関係で結ばれた共同体であり、その共同体が一つの小独立国家をなしているものである。この比較的平等の相互関係の基礎は、構成員の比較的均分の私的土地所有である。
ポリスは絶対的強者が存在せず、均等に力が分かれている状態から始まった。その平等が貨幣経済の浸透、富の格差によってなくなっていき、ポリスの形も変わっていった。マックス・ヴェーバーはポリスの変遷を以下のような類型にわけている。
- 貴族制ポリス
- 重装歩兵ポリス
- 民主政市民ポリス
奴隷制をとっていたギリシアのポリスでは、市民か非市民かで分かれていた。歴史が進むにつれて、市民となるものは増えていったが、あるときから新規に市民を増やさないように制限しはじめた。前451年に成立した市民権法案では、アテネ市民権は両親がアテネ人であることが条件とされた。血によって市民か否かを判断する。アテネに貢献したアリストテレスですらアテネ市民権はもらえていないのだ。
アテネの市民権の閉鎖性と対象的に、ローマ帝国は市民権を拡大していったところに大きな違いがある。
ローマ帝国の支配の秘密
ローマ帝国の繁栄は、ローマ市民権保持者による非ローマ市民への支配であり、ローマ市民共同体による多数の非ローマ市民共同体に対する支配であった。ギリシアと違い、ローマ帝国の支配が長かったのには、支配共同体であるローマ市民共同体の一員とみなされるローマ市民権の適用範囲をどんどん広げていった点にあるといえる。
貨幣経済の浸透で格差が広がり、共同体 が危機をむかえた際に、ギリシア共同体は閉鎖的になり、ローマ共同体は開放的になった。カエサルなどは非ローマ共同体内の有力者には自分の名前(ユリウス家)やローマ市民権を付与している。そりゃ人気がでるわけだ。
平和の恵みは奴隷化につながる
「平和」を愛する人は多い。ラブアンドピースなんて言葉もあるくらいで、平和は2000年後の今も大事な価値のひとつである。しかし、この「平和」は「支配」によって打ち立てられていることを忘れてはならない。ローマ帝国内を旅行して見聞を広めた弁論家のアリスティデスはこういっている。
アレクサンドロス大王は世界帝国を獲得したが、支配はしなかった。ローマ人は支配することを知った最初の人だった。
ローマ人の支配には巧みさがあり、気づきにくいが、ローマ帝国の支配ゆえにパクス・ロマーナは実現した。ローマ帝国の支配がもたらした恵み(平和)とはなんだったのか。それは以下のとおりである。
それは神殿や市場や家を建てさせて快適な生活をさせること、つまりローマ的都市生活を導入してかれらに平和と憩いになじませることであり、教養学科つまりラテン的教養を子供たちに授け、服装にいたるまでローマ的風俗習慣に染まらせることであり、さらにまた浴場や優雅な饗宴にふけってローマ的悪徳に誘うことであった。
歴史家タキトゥスはこう喝破する。
これを何も知らない原住民は、文明開化と呼んでいたが、じつは、奴隷化を示す一つの特色でしかない。
1950年代のアメリカ式生活様式に憧れた昭和の日本人も似たようなものだったのだろう。アメリカの核の傘(支配)の下、平和を教授してアメリカナイズされた生活を楽しんだ。平和はとても素敵な言葉ではあるが、平和の受容は奴隷化にもつながっている。平和は独立と勇気と自由を嫌うのかもしれない。
最後に
平和と支配は表裏一体であるが、支配には何かしらの正当性が求められる。支配の正当性の確保にはローマ帝国自身悩んでおり、正当性をいかに担保していったのか本書では続きで描かれている。ここで書いては楽しみを奪ってしまうので、続きが気になる方は読んでみてほしい。皇帝とキリスト教の駆け引きが非常に面白い。ユダヤとアウグスティヌスとコンスタンティヌスが一気に繋がる。
最後に著者の言葉で締めよう。
ローマ帝国はなぜ滅びたかを問うよりも、どうしてあれほど長く生き延びたのかを問うほうがふさわしい。
古い本であるが、本書は地中海世界の大事なポイントを掴むことができる優れた一冊であった。