お久しぶりです!おくでぃです。今回は聞いたことあるけどイマイチよくわからない「荘園」について紹介します。
よーわからん単語
日本史でよく出てくるけどイマイチわからない単語。そんなものの筆頭が「荘園」ではないでしょうか。
奈良時代から戦国時代にかけて存在した中央貴族や寺社による私的大土地所有の形態。また、その私有地。個人が開墾したり、他人からの寄進により大きくなった。鎌倉末期以後、武士に侵害されて衰え、応仁の乱および太閤検地(たいこうけんち)で消滅。
辞書で引いてみてもさっぱり・・・わからない。
そんな「荘園」について一冊まるまる割いたのが本書のレアな点です。
荘園について理解するためには、まずは「公地公民」から理解しなければなりません。
荘園とはなにか
荘園は歴史は七四三年に発布された墾田永年私財法から始まります。
なぜか口ずさみたくなる墾田永年私財法。笑
みなさんも名前は覚えているかと思います。
荘園の歴史は長く、約七五〇年もの歴史があります。
荘園の荘の字は「建物」を園の字は「土地」を指し、私有の農園のことだ。
荘園=私有の農園だと思ってください。
荘園はのちに、税の免除や使節の立ち入りを拒否する特権が与えられたりしました。
私有があるならば対義語として公有がありますよね?
そうなんです。実は荘園ができる前は全ての土地が公有されていました。
それが「公地公民」です。
超大国「唐」を真似する
六一八年に隣国で超大国「唐」が誕生しました。唐の中央集権的な統治体制を真似した日本は、律令国家を築き上げました。
「律令」というルールに従う。その制度を「律令制」と呼びます。
律令制では、土地と人民は国家のもの。つまり「公地公民」を原則としていました。
その目的は、国家が土地を人民に平等に分配し、生活を送ってもらい、そこから得た収穫物を税として徴収することにありました。
「平等」は素晴らしい概念ですが、完璧なものではありませんでした。
新しく開墾しても私有を認めなかったので、新しい農地を生み出すインセンティブが働かず、富は増えていきません。
せっかく開墾しても国家のものになるのならば誰が働くことでしょうか?いや働かない!
社会主義国家が失敗した理由と同じことが律令国家では起きていました。
新しく開墾されないと農地は増えません。しかし人口は増えていきます。
すると人民に配る口分田が足りなくなってしまうのは明らかです。
そこで農地を増やすためにも致し方なく、私有を認めたのが墾田永年私財法でした。
するとこれまでは100%「公地公民」だったのが、荘園の割合が増えていきます。
アルバイト先としての荘園
こうして墾田永年私財法をきっかけにできたのが初期荘園と言います。
初期荘園にはそこで専属で働く農民はいません。
収穫の2〜3割を納めさえすれば、自由に初期荘園の農作をすることができました。
当時は国家から借りた口分田もあリます。
生活費は口分田で稼ぎ、+αで稼ぎたい場合は荘園を耕す。
パートタイムのような働き方や使い方もされたというのが面白かったです。
小さな世界としての荘園
荘園の誕生により、どんどん公地は減っていきました。
すると税収も減っていき、国家はますます貧しくなっていきます。
律令制(公地公民)を守ろうと、荘園整理令を出して、公地に戻そうとする動きもありましたが、
時代には逆らえず、荘園は増えていきます。
開梱した土地を貴族や寺社に寄進することで、税金を免除してもらったりと、荘園は独自の進化を遂げていきます。
国家に捧げるべき税金や役人の立ち入りを拒否できたり独自の世界を形成していった荘園。
その領主権は、荘園にそうした特権を与えたのが天皇家・摂関家の本家。寄進を仲介したのが貴族の領家。そして在地領主が務める荘官。こうした3重の支配構造のもとにありました。
さいごに
東京一極集中を批判する声をよく聞きます。その際にセットで言われるのが地方創生や地方分権があります。
荘園を通してみることで、小さな地域の自治権を最大にし、中央集権国家の役割を最小にした世界を覗く事ができます。
貨幣での納税を認めたりと柔軟性もあり、物流の効率化も図れたことで荘園制度はうまくいったケースもあります。
本書を読むまでは「荘園」ときくと、貴族や寺社が勝ってに土地を増やして囲っていった悪い印象がありましたが、
本書を読んでからはその存在が豊かさを引き出し、日本社会に与えた影響の大きさを知り、新しい一面を見ることができました。
日本史に興味ある人ならば非常に良い知識得られる一冊だと思います。