伝説=敗れしの者の記憶
「判官贔屓」という言葉がある。辞書で調べてみるとこんな意味だ。
(薄幸の九郎判官義経に同情し愛惜する意から) 不遇な者、弱い者に同情し肩を持つこと。また、その感情。はんがんびいき。
兄の源頼朝の命令に従い、宿敵平家一門を壇ノ浦で滅ぼす大手柄を立てた義経。兄に喜んでもらえるかと思いきや、兄から勘当され、朝敵にまでされてしまい、最後は平泉にて自害を遂げる。
悲劇の英雄の代名詞として源義経の歴史は多くの人を涙に誘ってきた。そういう弱い立場の者を支持したくなる感情が判官贔屓である。
本書の主題である「伝説」は「敗れし者の記憶」と呼ばれることがある。
敗れし者に同情し肩を持ちたくなる感情はこれまで説明してきた。事実が時を経て、判官贔屓の感情が合わさると虚像ができ、伝説を介して復活・再生する。
これは何も日本だけの話に限らない。悲劇の聖女ジャンヌ・ダルクも無名だった人物だったが、ナポレオンがナショナリズム高揚のために持ち出したシンボルであった。
伝説とは、ある史実が、加工され肥大化されたものだろう。
伝説として表に出てくる時代の政治などの影響を強く受け、伝説は時代とともに変化する。
本書はそうした伝説がどのように変化し誕生したのか。菅原道真や源義経ら、著名な敗者を中心に語っていく。
スポンサーリンク
源義経=チンギス・ハーン伝説
にわかには信じられないトンデモ話が多いのも伝説あるあるだが、特に仰天するのが源義経=チンギス・ハーン伝説だ。
なんで源義経がモンゴルの英雄なのか。日本を出るには飛躍し過ぎではないか。そんな疑問が出るのも無理はない。
義経は北方伝説がはじまりであった。奥州藤原氏が築いた平泉に逃げてきたのは有名だが、そこにとどまらずに奥州→蝦夷地→樺太→満州・蒙古と北へどんどん肥大化していった。
一番びっくりしているのは義経本人に違いない笑
『磐石伝』という本では、衣川で自害したはずの義経が、樺太へ渡ったことになっている。そして満州に渡り、宋を助け清和国を建国する物語へと続く。もちろん空想の産物であるが、きっかけはあった。
『義経勲功記』という江戸前期に書かれた書物がそれだ。
去る程に伊予守義経は衣川を藏れ出、事ゆえなく蝦夷に渡海し玉ひ、威すに武を以てせられしかば島中の者共悉く怖れをののき帰伏して端蝦夷奥蝦夷共に尊敬すること久方ならず。
こうして蝦夷地(北海道)に留まっていた義経だったが、江戸後期になると、ついに大陸へと渡ってしまう。
歴史的背景をみてみれば、江戸後期には鎖国政策にゆらぎが起き、義経も海を渡れるようになったのかもしれない。
スポンサーリンク
冗談はさておき、異域の範囲も変転していった江戸時代は蝦夷地への関心が高まった時期でもあった。
蝦夷への関心が高まると情報も集まり、伝説に付与するエピソードを提供してくれるようになる。
そんな蝦夷は長らく中央集権の管理下ではなかった。王政復古を宣言し、明治政府によって北海道として日本国の一部となるまで異域であったのだ。
蝦夷を日本国の一部にする。そんな意志を勝手に代表させられてか義経が蝦夷王になる伝説は誕生した。北海道が日本国の範囲におさまると、次は大陸だ。
またまた義経には活躍してもらわなければならない。ときに日本は列強の一員を目指してアジア大陸進出を画策していた時期と重なる。
ついに義経はモンゴルまでいき、チンギス・ハーンとなったとする伝説はハッタリからはじまったらしい。
最初に『源氏物語』を英訳した末松謙澄が提唱した説で、日本を西洋に認めてもらうためにかましたハッタリだと本人が言っている。
小さな英雄(義経)が大きな大陸を征服していく様子は明治国家の悲願でもあり、想像上だけでも願いを叶えたかったのかもしれない。
そんな明治国家の願いを背負って勝手にチンギス・ハーンにまでさせられた義経はどんな気持ちなのだろうか。
インタビューできるものならばしてみたいものである。
これまで見てきたように伝説は時代とともに変化する。
義経が蝦夷地へ渡った江戸時代は、蝦夷地開拓がブームであった。そして海へ渡り樺太・満州へ向かう江戸後期んいは蝦夷地は異域ではなく国家領域の射程に入っていた。近代は列強への憧れと西洋東洋との関わり合いからチンギス・ハーンにまでなる。
スポンサーリンク
さいごに
伝説はいつから誕生したのだろうか?
それはフィクションに人間を描写できるようになった中世以降だろう。
特に『平家物語』や『太平記』などの軍記物語は伝説の宝庫だ。
そこに描かれた人物らの行動は、ある史実を土台に、これをふくらませることで文学に仕立てられている。
私の大好きな三国志演義も似たようなものだろうか。
ある史実として『三国志』があり、劉備、関羽、張飛がいる。そして想像をふくらませることで物語としての面白さが付与される。
史実とは遠くなるが、その分面白さや魅力は増加する。事実よりも想像力のほうが人を魅了するものがある。
また伝説の面白さは、時代の変転とともに変化する。その変化には「敗者の復活」「武威の来歴」「異域の射程」というテーマを含んでいた。
伝説(想像)と歴史(史実)を行き来する楽しさを味わえるのが本書の特徴だ。
歌舞伎や浄瑠璃にも興味をもつきっかけになりそうな一冊。