戦争ばかりの近代
西洋列強に植民地にされるアジア諸国をよそ目に、明治維新を実施し、近代国家として歩み出し、ヨーロッパ列強の一国、ロシアに勝利するまでの明治日本を描いた『坂の上の雲』から第二次世界大戦の敗北まで、日本という国家はやたらめったら戦争をしているイメージはないだろうか。
実際に明治維新以降、大きな戦争だけを列挙してみよう。
- 台湾出兵
- 日清戦争
- 日露戦争
- 第一次世界大戦
- 満州事変
- 日中戦争
- 仏印進駐
- アジア太平洋戦争
よくもまあこれほど戦争をしたものだが、日本の歴史の中ではこの時期が例外で、ほとんど対外戦争は経験してこなかったという。
非戦闘民族日本
前近代までの日本の歴史において海外での戦争経験はわずか3回しかない。
- 対高句麗戦
- 白村江の戦い
- 秀吉の朝鮮出兵
島国で大陸からほどよい距離感という立地条件もあり、日本は戦争に巻き込まれることが少なかったのも要因のひとつであろう。
経験が少ないので日本は戦争が下手である。中国には『孫子』、ヨーロッパではクラウゼヴィッツの『戦争論』など名著が生まれたが日本にはない。
本書では、古代の日本の戦争経験を読み解き、そこでのアジア諸国との関わり方が、近代以降のアジアと日本の関係に大きな影響を及ぼしていると指摘する。
どうして近代になってから急に戦争を積極的に仕掛けていったのか。そんな謎にも本書を読めば解明の道が拓けるだろう。
東夷の小帝国
アジア諸国と日本の関係を読み解くキーワードに「東夷の小帝国」がある。
一言でいうと、親分である中国よりは下の存在だが、朝鮮や東アジア諸国よりは上の存在であり、それら諸国を支配する小帝国としてのプライドだ。
一見、ただのマウンティングのように思えるが、こんな事実もある。
5世紀に宋から伽耶諸国と新羅の軍事指揮権を承認されたのだ。
宋からしたら、よーわからん東夷の一カ国の要求だったので、あまり考えずに承認したのだろうが、これを根拠に、倭国の支配者はしめしめと思ったに違いない。
三国で争っていた朝鮮を統一したのが新羅で、その後の高麗、李氏朝鮮と続くが、その新羅に対する優位性を主張して、近代以降も日本は朝鮮にマウンティングをとるようになる。
また、宋からは同列に思われていた百済に関しても、新羅・唐連合軍に攻められ、日本に助けを求めてきたことによって、百済は日本の属国の位置づけになった。
日本のこうした「東夷の小帝国」というプライドをくすぐった朝鮮諸国が巻き込んだのが白村江の戦いだ。
これは古代日本最大の敗戦で、近代のアジア太平洋戦争の敗戦に匹敵する大事件であった。
白村江の戦いの恐るべき真の目的?
白村江の戦いは唐・新羅連合軍が、百済を滅ぼし、亡命していた百済の王子豊璋を日本が帰還させようとしたことがきっかけである。
そこにはこんな壮大な夢があった。
豊璋に倭国の女性を后とし、やがて后が産む王子は、倭国の血が入った王子となる。
まさに「東夷の小帝国」としての優越感をくすぐられる案件ではないか。
また、残留百済軍の活躍もあり、ある程度、勝ちの見込みがあり、白村江の戦いに臨んだと言われている。
だが、本書では日本側が白村江の戦いに臨んだ現実的な目的について驚愕の可能性を指摘している。
白村江の戦いの戦いに参加したのは、地方の豪族が中心だったらしい。中央集権国家を樹立されようとしていたのが、中大兄皇子と中臣鎌足。
彼らにとって最大の障害は誰か。そう!既得権益を守りたがる地方の豪族層だ。中央集権が進むと権利を剥奪されるのは豪族なのは明白だ。
ここで恐ろしい考えが思いつく。白村江の戦いは、中大兄皇子率いる近江政府にとって、障害である豪族層の力を弱めるために、戦地へ送ったのではないだろうか。
勝てば「東夷の小帝国」として百済の復興をサポートし、倭国の血が入った王子が誕生する。負けても、中央政府樹立の邪魔になる存在を消せたと思えば良い。
事実、白村江の戦いから9年後に起こった壬申の乱では、白村江の戦いに参加した豪族の名前は出てこない。
ちょっと考えすぎだろうか。あの中臣鎌足なら考えそうなことでもある。
さいごに
日本が朝鮮諸国よりも上だと認識していたように、朝鮮側からすると、中国に地理的に近い自分たちのほうが文明化されていて、さらに東の蛮族である日本のほうが下だとずーと思ってきた。
しかし、近代以降、朝鮮は日本を宗主国として植民地支配を受けいれた。その屈辱感は計り知れないだろう。
こうした感情も、古代からのアジア諸国との関係を知らないと理解できない。
これからも付き合わざるを得ない永遠の隣人を理解するために本書はとってもおすすめの一冊だ。