フランケンシュタインの誘惑

「”いのち”の優劣 ナチス 知られざる科学者」フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿

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BSNHKで放映された番組の備忘録です。

600万人以上のユダヤ人、20万人以上の障害者を大量虐殺したナチスドイツ。彼らの背後にはナチスに加担した科学者たちがいた。ドイツ敗戦後、多くの科学者は追われる立場になり、裁判にかけられ処刑された者、南米まで逃亡した者、アメリカが連れ帰った科学者など、さまざまな最後を迎えたが、罪に裁かれることなく、長年忘れられていた大物科学者が存在したのがわかってきた。それが、今回の主人公「人類遺伝者のオトマール・フォン・フェアシュアー」である。彼は裁かれることなく家族、学生、同僚から愛されたままこの世を去った。彼とナチスの結びつきから現代における科学と国家の健全な結婚を読み解く。

オトマール
フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿より


優生学との出会い

彼は貴族の家に生まれ、幼いころから自然に興味関心を持ち、マールブルク大学で医学を学ぶ。 そこで夢中になったのが当時最先端の科学であった優生学だ。 優生学の基礎となったのは、メンデルの遺伝学とダーウィンの進化論。

メンデルとダーウィン

優生学とは遺伝的に劣った者を人為的に淘汰して人類全体を進化させることで、その目的は民族全体の健康を守ることにある。劣った遺伝子によって病気や障害を遺伝することを防ぐことが重要だと考えられた。ドイツだけでなく世界中で優生学ブームが起きていて、先進国はアメリカ。アメリカに追いつけ追い越せでドイツも優生学を推進していく。


28歳のころに大学病院で勤務しはじめた。そこでは結核に感染して発症する確立は遺伝によって左右されるのかどうか?一卵性双生児と二卵性双生児を深く観察し127組を調査した結果、一卵性双生児のほうが45%発症する確立が高いというものだった。研究結果は評価され科学者としての地位を確立。結核の発症には遺伝的要因がある。彼はそう確信することとなる。


当時、死の病と恐れられた結核から民族を救うためには優生学を取り入れ、患者は不妊手術を行うべきである。それを優生学では断種とよぶ。望まれない遺伝子をもった人間の生殖によって特定の病気や障害が子孫へ受け継がれるのを防がなければならない。キリスト教では許されないはずの不妊手術に科学的お墨付きを与えた。フェアシュアーは当時こう考えていたという。

病気、障害はドイツ民族の負担を大きくする。多くのドイツ民族を救うために小さな犠牲はしょうがない。

国家と科学の不幸な結婚


そんな折、世界大恐慌がやってくる。財政は危機的状況に陥り、ドイツ国民の生活は困窮を極めた。 最大の人口を抱えたプロイセン州政府は歳出削減のためにフェアシュアーら教授に意見を求める。そこでフェアシュアーは「20万人の障害者に使っている支出(社会保障)を健常者のために使うべきではないか?」 そうして断種法案を提出。これは本人の同意があれば不妊手術を認めるものであった。もちろん国の法律では禁止されており、あくまでも州政府のみ。しかし自体は一変する。フェアシュアーのユートピアを現世で実現されるあの男が現れたのだ。1933年ヒトラー内閣が成立。ヒトラーは『我が闘争』の中でもこのような一節を残している。

肉体的にも精神的にも不健康で無価値な人間は、子孫の体にその苦悩を引き継がせてはならない。

『我が闘争』より


ヒトラーの支持の下、断種法が成立。しかも、本人の同意なしに強制的な不妊手術が可能になったのだ。


フェアシュアーとヒトラーは互いを必要としていた。フェアシュアーは優生学に基づいたユートピア実現のための権力を、ヒトラーは自身の政治思想に基づいた国家建設のための知識を。相思相愛は加速し、フェアシュアーは出世街道を歩みはじめる。フランクフルト大学遺伝病理学研究所所長に就任。そこで彼は恐るべき行動を取り始める。フランクフルト市民を対象に、遺伝情報を収集し遺伝カードを作成。断種すべき人間とそうでない人間を選別しはじめた。健全なカップル同士の結婚には結婚適正証明書を発行。もしも適性でなければ・・・優生裁判所へ送られる。彼自ら、調査に出向き、面接の結果多くの人に断種の印鑑を押した。30歳の女性のケースが印象深い。彼女は文字が読めず、ドイツとフランスの首都が答えられないのを見て、知的能力不足と認定。既に妊娠6ヶ月でお腹に命が宿っていたのにも関わらず、フェアシュアーは眉一つ動かさずに中絶すべしと記す。


病気や障害のない社会をつくることができるならば断種は素晴らしいことで人道的であると彼は信じていたのだ。その結果、1945年までに40万人もの人々が強制的に断種させられた。ドイツ国民200人に1人の割合である。遺伝的劣等者への廃絶を進めていたナチスは第二段階へと進む。ユダヤ人の根絶である。


ナチスはユダヤ人を欠陥をもった劣等人種だという意識を国民に植え付ける。これに科学者の立場から後押しをしたのもフェアシュアー。

ユダヤ人が増加し、影響が増加するのを阻止しなければならない


1935年 血統保護法が成立。 ユダヤ人とドイツ人との婚姻、性交渉を禁止した。発覚すると禁錮や懲役刑と厳しい刑に処された。ところが重大な問題をナチスは抱えていた。おかしな話だが、ナチスはユダヤ人とドイツ人を区別する方法を持っていなかった。いったい誰がユダヤ人なのか?そもそもユダヤ人とは誰か?確立されていなかったのだ。そこでフェアシュアーはユダヤ人を科学的に特定するために研究に邁進する。その結果、ユダヤ人は他の民族と比べて糖尿病など発病、聾や難聴などの障害が起こる頻度が高いとわかった。そしてこう訴えた。

ドイツ民族の特徴の保存が脅かされないよう ユダヤ人を完全に隔離することが必要である。


フェアシュアーは間違いなくナチスに加担した。上記の発言からはアウシュビッツ強制収容所が思い浮かぶ。有能な弟子との出会いにも恵まれた。ヨーゼフ・メンゲレとの悪魔的師弟関係が始まる。1942年 カイザーウィルヘルム人類学人類遺伝学優生学研究所所長に就任。外見ではなくより簡潔にユダヤ人を特定できないか。そのために血液の研究を開始する。比較のために様々な人種の血液が必要になったが、その供給先としてアウシュビッツ強制収容所があった。弟子のメンゲレがアウシュビッツ強制収容所勤務になり、弟子から多くの血液標本がフェアシュアーの下に送られる。師匠に気にいられようと弟子はエスカレートし内臓や眼球なども送るために収容者を殺害、解剖しはじめる。

敗戦。そして・・・


1945年1月27日 アウシュビッツ強制収容所解放
1945年5月7日 ナチスドイツ無条件降伏

その頃、フェアシュアーは自分に不利となる書類を焼却。証拠隠滅に勤しんでいた。敗戦と同時に権勢を誇っていた科学者たちは一転追われる立場となる。カールシュナイダーは自殺。カールブラントは裁判にて死刑。メンゲレは南米へ逃走した。大物科学者が捕まる中、ついにフェアシュアーも連合軍に連行された。しかし、彼はアウシュビッツ強制収容所での出来事は知らなかったと言い張り、たった45万円の罰金のみで許され解放される。それだけでなく戦後はミュンスター大学の人類遺伝子学研究所所長に就任。最後はドイツ人類学協会の会長まで上り詰める。


裁かれずに学会の頂点に居座りつづけるフェアシュアーの最後は車にはねられて昏睡状態のまま家族に看取られてこの世を去った。
死後新聞では彼のことをこう評していた。

信仰心があつく模範的な人物であった。彼はどんな困難においても理解に満ち寛容であった


はたして彼は反省していたのだろうか?戦後同僚に送った手紙にはこう書かれていた。

あの忌まわしい過去について話すのはやめておきましょう。もう過ぎ去ったことですから

感想

番組見るまでまったく知らなかった人物でした。国家と科学が悪い方に結びつくとここまで危険な存在になることを示してくれた会だったと思います。最後の最後まで彼は反省していないと感じました。現代の価値観で当時を断罪するのは簡単ですが、当時の空気は優生学ブームであり、きっと善意から始めたに違いないが、修正できない頑固さが身を滅ぼした。カエサルの名言を思い出します。

始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。

カエサルの言葉


優生学は過去のもののように感じるが未だに存在しています。フェアシュアーの時代と異なり、現代は遺伝子研究は飛躍的に発達し、遺伝子操作すら技術的には可能です。出生前診断は強制ではないにしろ命の選択を行っていて、殺人にはなっていません。生まれる前の命には人権がないからです。胎児には意見を言う術がありません。出生前診断で障害がわかったカップルの9割は中絶を選択しているといいます。フェアシュアーが望んだ優生学に基づいた世界に近づいているようにも思えます。死後の世界にいるフェアシュアーは現代社会をみてどう思っているのでしょうか?意図的に断種している現代に生きる我々には優生学の亡霊は未だにつきまとっていて、命のあり方についても考えていかないといけないフェーズにいるのだなと再度思われた番組でした。それにしてもクオリティ高!

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おくでぃ

▶︎ 数千冊の本に埋もれてる積読家 ▶︎ 古今東西の歴史が好き ▶︎ まれに読書会主催 ▶︎ 餃子が好き ▶︎ HONZのレビュアーになるのが夢

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