「お気持ち」表明で剥がれる創られた伝統
2016年に今上上皇が国民に向けた「お気持ち」表明は、皇室典範の改定や生前譲位などの天皇の伝統に目を向けるきっかけとなった。その際、一部の論者によって、伝統的な天皇像が取り上げられ、「古来そうだったのだから変えてはならない」と改変にブレーキをかけることとなった。著者はそんな言説に違和感を感じて、本書を書いたという。
著者は中国思想史を専門とする方で、自称伝統主義者たちの言説を史実に基づく資料で粉砕していく姿が清々しい。誤りを正してくれる存在はありがたい。呉座先生の『陰謀の中世史』が好きな方はきっとハマると思う。
天皇をめぐる諸制度は明治時代に改変された?
天皇をめぐる諸制度の多くは、じつは明治維新前後に新たに創られたものだという。明治維新が近代化を推進し、西洋文化を取り入れた結果、天皇も洋館に住み、洋服を着て、洋食を召し上がられるようになったのはイメージしやすい。だが、祭祀や儀式といった、いかにも日本の伝統のような行事すら明治維新の前後に始まった「創られた伝統」というのが驚きだ。
想像の共同体でおなじみのベネディクト・アンダーソンはこう言っている。
近代の国民国家は自分たち固有の民族文化を特徴づけるための過去の記憶を掘り起こす。それは「創られた伝統」だ。
本書では、「農耕と養蚕」「陵墓」「造営」「宮中祭祀」「皇統譜」「一世一元」を取り上げて、「創られた伝統」を紹介していく。
お田植えは昭和天皇から
むかしばなしの定番は、こんな感じで始まる。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。男女分業を象徴するかのように、天皇陛下は稲作を、皇后陛下は養蚕を行っておられる。いかにも昔からある伝統行事のようだが、じつは昭和天皇が始めたつい最近の「伝統」にすぎない。植物学に造詣が深かった昭和天皇が興味をもって田植えをしてみたのが始まりなので伝統は一切ない。毎年テレビでも放映されるので伝統っぽく見えるが、まったく伝統でもなんでもないことには驚いた。
さすがに日経新聞も「皇居での稲作は昭和天皇の時代から続く恒例行事」と記述していた。
虫愛づらされる皇后陛下へ
古事記には皇室の女性が機織り作業に携わっていたことをうかがわせる記述がある。当時、シルクロードで東西世界をつなぎ繁栄していた唐王朝の最盛期に完成した古事記は影響を受けたに違いない。そこから長らく皇室による養蚕は行われてこなかったが、1871年に皇后陛下が養蚕を復活させた。その背景にはあの男がいたといわれている。渋沢栄一だ。渋沢の出身地は養蚕地帯に近接しており、殖産興業の主力製品として国を上げて生糸生産に取り組んでいた。養蚕を皇后陛下自らに推奨していただくために、本当は創られた伝統なのだが、旧慣復興を口実に実施された。
12世紀に成立した『堤中納言物語』に「虫愛づる姫君」という有名な姫様の話がある。「蝶を愛でるなら、毛虫の頃から愛でないとダメよ」といい、幼虫から育てる姫様を侍女たちは気味悪がる。とてもじゃないが皇室や高位の姫様たちが好き好んで養蚕しているとは思えない。
最後に
本書から学んだことは、社会が変わると「伝統」も変わるということ。そしてその背景には必ず意図が含まれていることが理解できる。所詮、「伝統」も神様ではなく人間が創ったモノなので、変更も可能である。伝統自体は、自分の民族や育った環境を体現してくれるモノとしてありがたいが、それが政治利用されることもありうるので注意が必要だ。当たり前のことがじつは当たり前ではない。そんな幻想から目を覚ましたい人にはおすすめな一冊だ。今後も天皇像は社会にあわせて変化していくはずだ。