ペリー来航以前にアメリカへいった男
ペリーがやってくる前からアメリカを訪れた男がいることをご存知だろうか。
彼の名は中浜万次郎。いやこっちの名のほうが通っていると思う。「ジョン万次郎」
彼は漁師で、漁師仲間と沖に出て、漂流してしまうところから物語は始まる。
当時、幕府は鎖国をしており、国外に出ることは死罪にも当たるほどの重罪。
そんな彼が一〇年間の国外生活を終え、琉球に帰ってきた後に、河田小龍が密着取材して、体験談を記したのが本書である。
『漂巽紀畧』はいま風に言えば、画家で学者の河田小龍が、万次郎らの帰国漂流民を密着取材して書き上げた、豊富なイラスト入りのノンフィクションだろう。
端的にまとめると上記が特徴だ。万次郎の話をきいて、描いた絵が五〇点もあり、万次郎の見たアメリカの様子が断片的にわかる本になっている。
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幕末の志士や幕府の必読書へ
『漂巽紀畧』はペリー来航の一年前(一八五二年)に完成し、山内容堂にも献本されたらしい。
『漂巽紀畧』は藩上層部の必読書となり、写本が他藩にも提供された。
かの坂本龍馬も『漂巽紀畧』を読んでアメリカ事情を学んでいたかもしれないのだ。
万次郎の運命は、帰国後まもなく起こったペリー来航という事件によって大きく変わる。
アメリカと対峙せざるをえなくなった幕府は万次郎を江戸へ呼びつける。
国禁を犯した犯罪者から直参の武士となり幕府に召し抱えられることに。
海防の責任者江川太郎左衛門英龍の部下に取り立てられ、万次郎を通訳として重用するよう進言するも、反対するものがいた。
それが徳川斉昭だ。
彼は、万次郎の能力や才能は十分理解していたが、アメリカに恩人がいる万次郎は、アメリカ側に不利な通訳はしない恐れがあると判断した。
こうして大活躍するかと思われた万次郎は、ポテンシャル以上の活躍の場は与えられなかったのだ。
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恩人ホイットフィールド船長
本書の中心は、漂流から帰国までの約一〇年間の不思議な体験談にある。
漁に出て漂流した万次郎ら五名の日本人漁師は、アメリカの捕鯨船に救われる。
船を率いていたのはホイットフィールド船長。万次郎の恩人でもある人物で、いまだに子孫同士で交流もあるというのに驚きだ。
ある日、ホイットフィールド船長は、五名中いちばん若かった万次郎を母国へ連れて帰り教育したいと告げる。
兄貴分だった筆之丞は、悩む。こんな異国まで一緒に流されてきた仲間を置いて離れ離れになるなんて。しかもいちばん若い万次郎とは余計に心配である。
だが、恩人のホイットフィールド船長の願いで、大事にすると約束してくれている。船長の親切心もともに過ごすうちに知っていた筆之丞はこういう。
「あとは万次郎の気持ちしだいだと思う。どうするかは万次郎が決めればいい」
この答えに喜んだホイットフィールド船長は、万次郎に選ばせて、アメリカへ連れて帰ったのだった。
こうして万次郎の人生は再び大きく変わることになる。
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さいごに
「ジョン万次郎」という名前は実は日本で一回も使ったことがない。
アメリカ暮らしのときは「ジョン・マン」と呼ばれており、帰国後は「中浜万次郎」
ではどこからジョン万次郎がきたのか?
ジョン万次郎という名前は井伏鱒二の『ジョン万次郎漂流記』という小説から公に広がったものである。
奇妙な運命に導かれた日本人の物語として非常に興味深い一冊であった。
てっきり一人かと思いきや五名で漂流してたのも意外な情報だ。
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