群衆の時代
群衆は、歴史上常に重要な役割を演じてきたが、この役割が今日ほど顕著なことはかつてなかった。
個人の意識的な行為にとってかわった群衆の無意識的な行為が、現代の特徴の一つをなしているのである。
絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿を造った太陽王ルイ14世を代表とする絶対君主制の時代。群衆の意見などは、ほとんど届くことはなく、無視されてきました。
それがフランス革命を経て、群衆の権力が王様の権力が上回りました。
一人の権力者の意向はもはや重きをなしません。群衆の声こそが一番大きな声となりました。
そんな群衆化した人間はどのような存在で、どのように動くのだろうか?
そんな群衆心理について深く問い続けたのが本作品の著者ル・ボンです。
ル・ボンについて
彼の生きた時代にはフランス革命と産業革命という大きな社会変動がありました。
彼は医大に進学し、普仏戦争では野戦病院で勤務していたといいます。
しかし、そのまま医者になることはなく、世界中を周り、考古学や民俗学にのめり込みました。
物理学研究にも手を出し、さまざまなジャンルで著作を出すマルチな才能を見せています。
そんな彼はエリートの時代が終わり、群衆が王座に座る時代になったことを肌で感じていたのでしょう。
こんな言葉を残しています。
多くの場合、その表面的な原因の背後に、真実の原因として、民衆の思想に深刻な変化があったことが発見されるのである。
大きな変化の背景には、民衆の思想の変化がある。本書ではその変化の要因を探っていきます。
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群衆になると途端に野蛮人と化す
彼は群衆の時代の到来に対して危機感をもっていました。
なぜならば、群衆は単純明快なことしか理解せず、現実ではなく心象をもとに判断し、大勢の中にいるという事実だけで根拠のない全能感にひたり責任観念が消滅してしまうからです。
孤立していたときには、恐らく教養のある人であったろうが、群衆に加わると、本能的な人間、従って野蛮人と化してしまうのだ。
個人ではどんなに賢い人でも、ひとたび群衆中の個人になると、途端に無個性になり、同一方向へと転換し推進するようになってしまう。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」
こんな言葉がありますが、群衆中の個人はまさにこのような状態。
一人でいるときは殺人を起こそうとか放火しようとかあまり思わないものだが、群衆の一員になってしまえばそうしたタガが外れます。
むしろそうすることが良いことだと群衆からお墨付きをもらうと、それを行うことが良いことだと思い、率先して行ってしまう危険があります。
フランス革命化では処刑が当たり前の景色になりました。群衆は衝動的で動揺しやすい性質をもつ。
そんな群衆心理を匠に操ったのがアドルフ・ヒトラーでしょう。
『群集心理』はヒトラーの愛読書だったとも言われています。
群衆のために個人を捧げる
ここまで群衆の悪い面ばかり強調してきましたが、一方で群衆だからこそできる行為についても目を向けています。
群衆の中の個人になると責任のない存在となれます。すると重荷がなくなり、個人ではとてもじゃないができない行為もできるようになります。
十字軍などはその一例でしょう。神がそれを望まれている。神の名のもとに異教徒を殺すこともいとわない。
ただの一個人だと困難な殺人をたやすく行わせてしまう。宗教や栄光、名誉に弱いのも群衆の特徴といえます。
群衆のみが偉大な献身的行為や偉大な無私無欲の行為を行う事ができるのです。
個人を優先する人ばかりだと文明は発達していません。群衆化した個人がいたからこそ今はあるのかもしれませんね。
もし群衆が、しばしば推理をし、直接の利益を打算するようであったならば、恐らく地球の表面上に、どんな文明も発達しなかったろうし、従って、人類は、歴史というものをもたないであろう。
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