20世紀は科学技術が社会のかたちそのものを大きく変革した時代であった。なかでも自動車は20世紀を代表するテクノロジーとして、20世紀のあり方を決定づけたと言っても過言ではない。本書は自動車と社会の関係をさまざまなエピソードとともに推移を追うことができる一冊。他にも多種多様なテクノロジーが誕生したのに、なぜ自動車が20世紀の人々の心をガッツリと掴んだのだろうか。それには2つの理由がある。
1つは便利な交通手段として優れていた点だ。特に自動車産業が育ったアメリカでは国土が広く、公共交通機関だけでは本土全体をカバーすることは難しい。車ひとつあればどこへでも運んでくれるため、車は「自由」を意味した。社会派の文豪エミール・ゾラはまだ自動車が珍しかった19世紀末に試乗してこんな予言を残している。
未来は自動車のものだ。それは人間を解放するからだ。
自動車は危ない存在。そんな意見も多かった中、ゾラはこう言い返す。「それならブレーキを改良すればいいでしょう」と。人類の科学技術による進歩を顕在化させる自動車は、人間を時間と距離の制約から解放した。まるでフランス革命の人権宣言の延長線上であるかのように。
もう一つの理由はスピードの魔力に目覚めさせた点にある。自動車によって人類は歴史を通じて初めて時速100キロを超える世界を知ることとなった。紀元前1400年ごろにアラビア馬が生まれたと言われている。それから数千年もの間、陸上の王者は馬であった。人類はスピードに興味がなかったのだろう。このような意識から目覚めさせたのは産業革命だった。馬VS蒸気機関車。いったいどちらが速いのか? 競争の結果、蒸気機関車が勝ち、陸上の王者の座を譲った。
ここからドイツの2人の巨人へと移り、自動車の歴史が動き出す。ここでは面白かったエピソードを紹介しよう。世界で最も有名な大衆車はT型フォードであるのは間違いないが、世界初の量産車をご存知だろうか。フォードに影響を与えた車として「カーヴド・ダッシュ」は外せない。
その販売方法が面白い。ニューヨークに出店する際に乱暴なパフォーマンス(マーケティング)を行った。それは、ニューヨークの五番街にカーブド・ダッシュで乗り入れ、自転車でパトロールしている警察官にわざとぶつけて転倒させ、スピード違反としてあえて逮捕される。そんな様子を野次馬やマスコミが面白おかしく広めて、一気に知名度をあげニューヨークだけで750台売り上げたという。炎上マーケティングの走りである。良い子は真似しないように。
まだまだヒトラーとフォルクスワーゲンのエピソード、ソ連とポルシェのエピソードなど車に関するエピソードがたくさんあるので、気になる人は手にとってみてほしい。2度の対戦は自動車産業を大きく発展させた。航空機のエンジンも自動車メーカーが製造し、バトル・オブ・ブリテンは、ある面では、ロールス・ロイス(イギリス)VS ダイムラー・ベンツ(ドイツ)の戦いでもあったのだ。
「自動車は20世紀の恋人」という言葉がある。少数の富裕層のみが味わっていた移動の自由は、T型フォードの普及により大衆にも車が行き渡り、多くのものが自由を手にしたと実感した。そして車が与えた自由やスピードへの魅力は二度と手放したくはないものになっていく。しかし、大衆が車をもつことによって、顕在化してこなかった「恋人の不実」に悩まされるようになる。交通渋滞や交通事故による死傷者。それに大気汚染がマイナス面として強く指摘されるようになった。車を手にすることで得たはずの移動の自由は渋滞により制限されることになった。だから渋滞は嫌な存在なのかもしれない。
20世紀が終わり、21世紀に入っても依然として車は存在している。車に代わる陸上の王者はいまのところ思い当たらない。代わるならばクリーンな車であることは最低条件であろう。今度は環境問題という制約からの自由を得るために。