なにも残さない男
上野公園にいけばある大男に出会える。
愛犬を横に連れて「上野の西郷さん」として今も慕われている西郷隆盛の像が設置されている。
西郷隆盛といえば恰幅いい体型に愛犬家であるイメージはここから来ているといえよう。
だが、西郷の妻の糸子夫人が像を見た際には、こんなことを言っている。
「うちの人でなか、違う」
奥さんが旦那さんのことを見間違えることがあるだろうか。
奥さんによると旦那と似ても似つかない像だというのは不思議だが、西郷は謎多き人物なのである。
西郷はあんなに有名なのに、自伝や日記、写真すら残っていない。
維新後には、西郷と知らずに警官が身柄を確保する。なんてこともあった。
「人間、いかに大きな仕事をしても、跡を残さないことこそ大事」
勝海舟によると、西郷はこのような考えをもっていたらしく、言行一致ふさわしく何も跡に残っていない。
立派といえば立派だが、なんともまあ歴史家泣かせな人物ではないか。
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駄々っ子西郷
本書では、正式な記録が残っていないが、維新三傑のひとりとして今も慕われている人物なので神格化されやすい西郷隆盛の実際の姿に迫った作品だ。
西郷隆盛といえばとにかく肝っ玉のすわった豪胆な男というイメージがあるが、子供らしい一面も持っている人物だったらしい。
東北戦争にて愛する弟が戦死した。その悲しみで軍議すら参加しなくなる西郷。
しかし西郷が来ないと勝てないので、吉井という人物が無理矢理にでも引っ張ってこようと西郷のもとを訪れると、ぐっすり寝ていました。
吉井は「軍議に参加しないとはどういうことだ。はやく起きろ」と叩き起こすと、
西郷は「ぽんぽん(お腹)が痛くなった」と駄々をこねて寝床から動かない。
力づくで動かそうにもあんな巨体を動かせるわけもなく、吉井はしぶしぶ部屋をあとにした。
それでも諦めきれない吉井は、再度別の人を寄越して軍議だけ参加するように依頼した。
西郷のもとを訪れると、なんと元気にしているではないか。実は西郷は腹痛は冗談でしっかり戦略を考えていたのだ。
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憧れの殿様と軽蔑の殿様
西郷隆盛には終始慕い続けた島津斉彬という殿様がいた。
列強に立ち向かうためには開国して産業を発展させて国を富まることが大事だと見抜いた名君だった。
そんな斉彬が急死してしまい、殉死を考えるも、殉死は禁止されていたのでにっちもさっちもいかない。
西郷はとある僧侶と入信自殺未遂まで起こしてしまう。
体格が大きかったこともあり、僧侶は死んだが自分は生き残ってしまった西郷は、これ以降、命知らずの行動を取るようになる。
一度捨てた身が何かの縁で生き残っている。これからの人生は延長戦で緩やかに死へと向かっていく「緩慢な自殺」「自殺モラトリアム」として西郷は命を燃やしていく。
そんなこんなあった後に、斉彬の弟の久光が上洛する話が耳に入る。斉彬も一目を置いていた西郷隆盛の意見を聞きたいと久光のリクエストで二人の対談が決まる。
これは異例の待遇で西郷の身分からしたらありがたいことである。
ところが、会ってすぐに久光に向かってこう言い放つ。
「今回の上洛は騒ぎを招くのみで利益がない。恐れ多いことだが、斉彬公さえ躊躇した率兵上洛をあなたのような地ゴロ(田舎者)が行うのは到底おぼつかない」
なんともまあ失礼なこと。相当にムカついたことだろうが、西郷はお咎め一切無し。
それにはこんな理由がある。
江戸時代の大名は概ね家臣を大事にしたという。どれだけ優秀な家臣がいるかが藩の力量を表したからだ。
藩主というのは世襲。つまり実力は問われずに血だけが見られる。
そこで藩主の実力は、どれだけいい家臣を置けるかで、家臣が褒められることは、その家臣を従えている藩主も褒められると当時の人々は考えた。
徳川斉昭は藤田東湖を召し抱えているから名君であり、松平春嶽は橋本左内を召し抱えているから名君なのだ。
松平春嶽は西郷のことをこう評している。
「自分の家来は多いが、用うるに足る者はいくばくもない。ただ西郷一人は、薩摩の貴重な宝」
他藩の名君すらも一目おかれる西郷を使いこなせるのはわしだけだ。と生前、斉彬は言っていた。
そんな斉彬を慕っていた西郷を、使いこなせないとなると、恥をかくのは久光である。
だから、あまり西郷にきつく当たれない事情もあった。久光の苦労は一般人である私にはよくわかる笑。
藩主を差し置いて自分で突破して成果を出してしまうのが西郷隆盛。二人の仲はよくはないが持ちつ持たれつの関係であった。
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さいごに
幼少期から西南戦争で散るまでの西郷隆盛の生涯の中でも誰かに話してみたいエピソードが満載で、『素顔の西郷隆盛』のタイトルにふさわしい作品だ。
著者の磯田先生はNHKの「英雄たちの選択」という番組でも、今どきの言葉に置き換えてわかりやすく話してくれて好き。
本書でもその分かりやすさとキャッチーな表現が散りばめられていて楽しく通読することが出来た。
西郷隆盛という存在の上に、いまの日本はあるので、どんな個性の人が形作ったのかを知るにはいい本だと思う。